という歌集を読んでいた。良かった。
これ走馬灯に出るよとはしゃぎつつ花ふる三条大橋わたる
雨だから泊めてもらって長城のような座卓をはさんだ眠り
抱擁を交わせば遠くで堰が切れ、しぶきが踵にかかり冷たい
自然のものとか歴史あるものとか、文学の題材として由緒のあるモチーフを使って、その格調を活かしつつ「エモい」感じの歌にする、というのが特徴的な作家なのかなと思った。
「抱擁を~」の歌は不思議な時空間と因果関係の感覚をもっている。それは現実の出来事としては不自然であるが、遠くで切れた堰の水が流れてきてそれが踵にかかったよ、というような雰囲気を出していて面白い。
そのときは捨てられようと決めている。犬みたいに、像になるまで
誕生日カードをあなたへ書くときの蛍光ペンの乾く速さよ
峠からみれば豪雨は天と地をつなぐかなしい柱 都よ
格調高い雰囲気はあるのだけど、言葉の使いかたとしてはけっこう無理をしている。「そのときは~」の歌もそうなのだけど、「十分伝わる」というよりは「ぎりぎり伝わる」感じの言葉選びをしていて、格調高さがいっしょに生み出しがちな退屈さをうまく回避しているようにも見える。
「誕生日カード~」の歌は全体的なテイストからはちょっと離れた、細かい着眼点のある歌なのだけどそういうのもふつうに上手いのですごい。
飲みさしのシードル二本 悪魔だって悪魔に会えると嬉しいんだよ
デカンタの傾きのなか緋は透ける終るならとびっきりの悲劇を
「飲みさしのシードル」の歌はいちばん好きだったかもしれない。「悪魔だって悪魔に会えると嬉しいんだよ」って言われると、逆に悪魔は悪魔に会ってもうれしくないって前提があったんだ、ってなるよね。その、べつに共有していない前提とそれに対する逆の主張を同時に新しい情報として出して、その重なり合いで面白がらせるという詩の技法があると思うのだけど、それのきれいな例だと思う。
冬時間へ時計の針をもどすとき眼からあふれてくる夏のみず
火。陽。日。正しい漢字を選びつつ老いていくことすごく正しい
「火。陽。日。」の歌はどこまで「火曜日」とも読めるのを意識しているのだろうか。「正しい漢字を選びつつ老いていくことすごく正しい」という落としかたは、「火。陽。日。」との関連性がそこまでないというか、なんでもそうだろとちょっと思うのだけど、実感というのはまあそういうものなのかもしれない。