「だが、彼女もその人生を捨ててしまった。人生ってやつは、ほんとに……」彼はため息を漏らす。「他人の人生のせいで、複雑になるもんだよな」
ジュリア・グラス『六月の組曲』
「エピグラフ」というのを知っていますか? そして使ったことがありますか? ……今回のように、なんらかの本編の冒頭に、それとは直接関係のない、だけどちょっと内容の上ではつながりがあるように思える、何かしら先行テクストからの引用文を置く、という文章技法である。*1
これは非常にかっこいい*2。ですが、かなり「カッコつけている」感が出るので、基本的にはするよりはしないほうがいい技法である。……だけど僕はこれ大好きでやっちゃうんですよね。
なので今回は、これまでエピグラフとして引用してしまったことがある引用句をいくつか紹介します。
あたしは自動操縦装置となってポルシェを走らせました。海をめざしていたようです。
倉橋由美子『聖少女』
まず一つ目はこちら。もう本当にそのまま少女が海を目指して呆然と車を走らせるシーンがラストにあるお話の最初に引用してしまった。
この文章と『聖少女』という小説は、2014年ごろに書店でやっていた「穂村弘選書フェア」的な場所で見かけたものである。
本来は、どこかでやっているもので、同じものを見た人には「ああそこで話題になってたよね」となるようなものをエピグラフに引用するの、ちょっとかっこわるいというか「甘い」*3ので、今の価値観で見るとちょっと渋く映ります。……でも当時は引用して完全に悦で気持ち良かった🤠。
2004年2月13日に、ハーバード大学の天文学者は白色矮星ケンタウルス座V886星の発見を発表した。ケンタウルス座V886星は炭素で構成され、最大で1034カラット (2×1030kg、太陽質量程度) が結晶化してダイヤモンドになっていると考えられた事から、彼らはその星を「ルーシー」と名付けた。
こちらは当時のWikipediaページ、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」からの引用である。……ただ、本編のネタバレ?になってしまうので、数単語だけ削っている。
エピグラフというのは、有名作品より無名作品から、無名作品より、さらに顧みられない路傍のテクストから引いてくる方が芸術点が高い。これとかはその意味では非常に個人的にはお気に入りである。
ただ、出典を作中で示していなかったり、明示せずに文章を改変していたりとちょっと行儀の悪い引用とはなっており、ほめられたものではない。
「知ってるかい? 天国ではみんな海の話をするんだぜ」
"Knockin' on heaven's door"(1997)より
こちらは映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」からの引用。こちらもメディアをまたがった引用をしていて、それだけで芸術点はそこそこのものになるのではないでしょうか。
やっぱり、「天国ではみんな海の話をしている」というファクトは美しすぎて、その美しさのためだけに信じたくなってしまう。本編の構成的にも内容的にもまったく不必要なエピグラフ*4だなあと読み返すたびに思うのですが、……でも個人的にも信じたい、人生の指針になっているいい言葉なんだからいいだろ!
幸福とは、新しいレインコートを着て、雨の中に立つことなのだ。
ちなみに、どこかでエピグラフに使いたいと10何年思いながらいまだに使い道を見つけられていない引用句がこちら。もしやっている人を見かけたら、ぜひ教えてくださいね。