キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる
佐藤りえさんという歌人の『フラジャイル』という歌集に収録されている1首である。僕はとても昔からこの歌がとてもとても好きだった。今回は、この歌の良い部分をランキング形式でいくつか紹介していきたい。
1位 終電で美しが丘に帰れ
このあたりが歌のベースの雰囲気を作っている部分じゃないでしょうか。「帰る」「終電」、そして、ニュータウンの空々しい名前のようにしか聞こえない「美しが丘」という言葉のコンボで、この歌の主人公の、郊外居住者という属性、都会には時間限定でしかいられない定め、みたいなものがリアルに浮かびあがってくる。
2位 キラキラに 美し
その郊外居住者属性と対比されていてメロディーラインを作っているのがこのふたつの言葉なのでしょう。現実の具体的な物事と接続しない言葉の上だけのキラキラさが、終電間際に見上げた都会に浮かぶ星空のような味をこの歌に追加している。
3位 キラキラに撃たれてやばい
キラキラに、だけでも、若いすらっとした口語表現の、口語表現を直接に使って何かを直接示してやろうという鋭い感じが出ているんだけど、追いうちのように出てくる「撃たれてやばい」のさらなる口語感が良いですね。
やばいの口語さはまさにそうだし、「キラキラ」を解決する言葉に「撃たれて」を選ぶこのちょっとジャンプした言葉を使う感じの口語感。
キラキラに撃たれて、と言われちゃうと、街のネオンがレーザーのように人々に降りそそいでいるイメージを喚起して、それは実際の景色としてはそうではないんだろうけど、短歌の上では、そう思わせるような迫力、重要性が街の光にある。主観的な感覚が感じられる素晴らしいフレーズだと思う。
4位 キラキラに 帰れなくなる
「キラキラ」という気楽な輝きではじまった歌が、「帰れなくなる」というドキッとするような否定形で終わる。街が楽しくて、帰りたくなくなっちゃったよ、っていう意味の歌に読めるのだけど、その意味上の軽さと字面の不穏さが調和をなしていて、それがこの歌のドキドキになっている。
5位 キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる
最後に読み返すと、これは郊外居住者の終末のあるときをうたった歌であると同時に、なにか、それと平行なつくりもののキラキラの世界を生きていることを大きな視点から見下ろした歌であるように思える。
街の光はきらきらで、帰る町には「美しが丘」という名前がついている。そういうイミテーション的にきれいなもののなかで暮らしていて、「撃たれてやばい」なんてイミテーションな心理を動かしてそんな暮らしを迎え撃ちながら受け入れている。終電という時間だけが、その世界のなかに一瞬だけくさびを入れる。帰らなきゃいけないときに、きらきらっと自分をだますあの時間の切なさ。
そういうものがはっと感じられ、個人的には大学1年のころ、井の頭線渋谷駅を帰るときにいつも思い出していた思い出深い短歌なのでした。