アナキズム・イン・ザ・UKの好きな回たち

 

 アナキズム・イン・ザ・UKは、「ele-king」という音楽メディアで2012年から2015年にかけて連載されていた全36回のコラムである。

 著者のブレイディみかこさんはイギリスで働く保育士で、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』といった高く評価された著作でよく知られている。

 

長いときが流れ、「future」は「journey in life」という歯切れの悪いヘヴィな言葉に変わった。すでにライフという旅路をかなり辿ってしまったライドンは、未来というのは漠然とした一続きのものではなく、何ブロックもに分けられた時期の連なりであることを知っている。人生には、永遠のポジティヴとか、永遠のクリーンとかは存在しない。

 バンドのライブのチケットを取ったのだが、問題のある家庭との面談をその日にねじ込まれてしまう、……というロック好きの保育士の日常エピソードから始まる第1回は、伝説的ロックシンガーが討論番組で言ったドラッグについての意見とクロスオーバーさせてドラッグの広まるイギリスの労働者階級の人々の人生のひとコマを描く。

 

 「自らの体験」「職業やこれまでの来歴から生じる自然な、体験への解釈」「それを取り巻く文化や政治の動き」「プライベートな体験ではない、パブリックで特筆性のある出来事」「文化や政治に対する洞察」……といった要素をきれいに織り交ぜて展開させる、ものすごく上質なエッセイになっていて、のこり36回もおおむね同様のクオリティのものが置いてある。

 

 「ありゃいじめだよ。虐待と言ってもいい」
 わたしが言うと、Dはのけぞって大笑いした。
 「ははははは。下層の人間には、上層の人間を虐待する資格がある」
 「ないよ、んなもん」
 「あるの。この国では」

 これは保育園という「キュートな」職場で起きた階級間ヘイトのぶつけ合いエピソードを皮肉的なコミカルさで語りながら、オアシスの作った「Wanderwall」という言葉の意味に思いをはせている。

 

しかし、この貧困ポルノは「同情するなら金をくれ」と言っているポルノではない。彼らは金は貰ってきたのだ。そしてその金と引き換えに、それより大事なものを奪われてしまったのだ。

 この回ではUKの恥部とされたアンダークラスの人々を描いたドキュメンタリー番組と並べて、自ら生活する中で共に過ごした彼らについての実感を語る。ただ、悲惨だけど、それを嘆いて終わりにするだけではない、ヒューマニティーへの信頼みたいなものがコラムの最後では力強くにじんでいて、それが心を打つ。

 

が、どれだけ社会がスーサイダルになろうと、世の中はスカッと終わったりしないし、戦争だってそう簡単に始まるものではない。人というものは残念ながら、なかなか死なないのだ。

サヴァイヴするということは、闘争やファンファーレじゃない。一杯のカップ・オブ・ティーなのだ。

 こちらの回では「カップ・オブ・ティー」というキーワードを印象深く使い、ある女性ミュージシャンの人生と、ある障害を負った元アナキストアンダークラス女性を結びつけ、反抗的に生きることと、その戦闘的な生の帰結がそれほどシンプルじゃないこと、そのやるせなさについてひとつの暫定的結論を出している。

 

 少しでも物を書く人なら知っているだろう。
 自分の生活をすべて晒して書いているように見える物書きにも、絶対に書かないことがあり、実は本人にはそれが一番大きなことだったりする。自分を本当に圧迫していることは、勇ましくキーを叩くネタにはならない。

 

 内容のレベルでも修辞のレベルでも非常に文才がある感じ、――表現がうまいとか、文が適切といった感じではなく、文章がその人だけの色できらきらと輝いているような感じである。圧倒的に才能がある。

 ただ、それでいて、その才能に任せた書き方をしているのではなく、むしろ抑制をきかせ、書かれている内容のシリアスさに見あうリスペクトを払っている。すごいとかそんな次元ではなく、こういうことができるひとが文章を書くことで世界が助かっている、と言って値すると思う。

 

 個人的にいちばん好きだったのがこの回で、2021年のいまウエストハムがはっきりと「強い」と言っていいクラブになっていることをうれしく思った。

 

 そして、一番きつい気分になっていまだにショックが抜けないのがこの回である。