井の頭公園で俺ら手に入れたHappiness

 

 沖縄から出てきて東京でドラマーをしているAという友人がいる。Aのやっているバンドのギターが僕の高校の同級生だったので、本格的に知り合うまえから彼を通じてAと僕はおたがいの存在をなんとなく認識していた。いつごろからか(面識はないまま)ツイッターでは相互フォロワーになっていて、おたがいのことを「面白いツイートをするやつだ」と好意的に見ていた。これまでのところを相関図で表すと以下のようになる。

 

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 そんなある日、ついに3人で飲もう、という話になったのだが、当日になって登場人物全員にお金がないということがわかったので、コンビニで飲食物を買って井の頭公園でくつろぐことにした。

 

 AとBは喫煙者である。僕はパーティースモーカーであり、日常的には喫煙はしないが、喫煙者に取り囲まれる飲み会には煙草を買って持っていくことが多い。日常的には喫わないので、喫い残した煙草はそこにいる喫煙者にあげて帰ることがたまにある。喫煙者の友人に煙草をあげるのはプレゼントとしての打率が良く、みんなたいてい超喜ぶのでなんかいいことをしたような気になってうれしい。

 

 ふだん僕が買うのは「HOPE」という銘柄なのだが、今回はせっかくAと会うのだし、ちょっと高めの、いい煙草を買っていこう、そしてみんなで喫煙しようと思った。コンビニですこし迷ったのち、たしかアメリカンスピリッツを買ったと思う。それを手土産に井の頭公園で落ち合った。最初はオフ会みたいなテンションになったが、まあ同郷の同級生なので普通にうちとけて気楽な楽しい時間を過ごした。ベンチに座って、アメスピを見せびらかしながら、夜の井の頭湖を眺めながら飲んだ。

 

 しかし気楽になりすぎたのかもしれない。コンビニに物を買い足しに行くか、となったときにベンチにアメスピを忘れてきたことに気づいたのだ。アメスピはもっと夜が深まってきたころににみんなで吸おう、ということになって開封すらしていなかったのに。僕もショックだったが、ふだんは「わかば」という安たばこしか吸っていないAの落ち込みようはすごかった。執着もすごかった。まああきらめるか、みたいな空気になっていた僕とBに、「ベンチに戻って探しに行かない?」と提案してきた。

 

「まだ残ってるかな」

「わからん、パクられてるかもしれない」

「残ってるといいな」

 さっきまでいたベンチに引き返すと、そこにはつぎの客が座っていて、僕たちは肩を落とした。たばこは本当にパクられやすい。それが許される風潮がなぜかある。さすがにベンチに座って、未開封アメスピがあったらパクるだろ…。僕でも正直パクる。座っているおじさんの様子を「ないかもしれんけどどうする?」「どうする?」と遠巻きにうかがっていたら、Aが「おれ見にいってくるわ」といった。

 

 帰って来たときのAのことを今でも鮮明に覚えている。未開封アメリカンスピリッツを天空に掲げながら小走りで帰ってくる彼は誇らしさと幸せの感覚に満ちていて、その瞬間だけで言えば聖火ランナーのアンカーを越えていたと思う。

 

 僕たちは彼をたたえ、近くの喫煙所で勝利のアメリカンスピリッツを喫った。いろいろなシチュエーションでたばこを喫ってきたが、あのときの高揚感を越えるものはなかった。今でも覚えている。あんな美しい夜が人生にあって本当によかった。