石と暮らせば


 人生で2番目に付き合った女の子はたぶん頭がおかしくて、……と言ってもそのころの僕も、というか今もやっぱり頭がおかしくて、魔術的なものと合理的なものをうまく切り離して理解しながら毎日を過ごすことができていない。とにかく、頭がおかしかったんだと思う。

 

 その子と恋仲になったのは21歳の時で、知り合ってすぐに意気投合してお互いの家を行き来する仲になった。ふたりとも三時間以上無援で外出していると息切れがして心臓が苦しくなる体質だったから、家が良かったんだ。彼女は実家だという家に一人暮らしだった。一階と二階に特に定まった用途のない部屋が一つずつ、あとキッチンとバスとトイレと階段があって、生活の動線から奇妙に突き出した廊下があった。その先には廊下の幅にぴったりと収まる、安っぽいつくりの机が置かれていて、その上にはアルミホイルの上に敷かれた、握ったこぶしぐらいの大きさの石が二つ置いてあった。「あれが父さんとお母さんなの」、……いつだったかな。ふたりでふざけてルームツアーをしたときに、なにげなく彼女は教えてくれた。そうとだけ言って、もう掘り下げなかった。あれは何だったのか? それまでずっと彼女の家を訪れるたびに視界の端にちらついて気になっていたことの真相をなにげなく教わって、僕はそれを言われたまま飲み込むことにした。きっと両親は死んでいて、あれが墓石の代わりなんだろう。彼女の家族はりっぱな墓を買えるほどの経済状況の家ではなかった。すくなくとも家のつくりや中身を見る限りでは。

 

 それから、お互いの人格の激しい部分や投げやりな部分に損耗し合い、別れが近づいてくる頃に、……なにか秘密を打ち明けてすり減った部分を埋め合わせたいと思ったみたいに彼女から石についての詳しい話を聞いた。「ねえ私ね、心から大好きな人ができると、それを石にしちゃうんだよ」

「あのふたつの石が、本当に昔は××ちゃんのお父さんとお母さんだったってこと?」
「信じていないんでしょ?」
「ううん、信じてるよ」

 法律上は二人はまだ生きていて、でもあと少しで失踪した人が死者に変わる期限がやってきて、その手続きがうまくできるか不安なんだ、……って彼女は毛布に裸で包まりながら、涙を流して言った。「この家も取り上げられるかもしれない。××くん、もうここに来られなくなるかもしれないんだよ? 悔しくないの?」

 その子のことがとてもかわいそうだと思ったから、泣き止んでほしくて、ふたりでちゃんとした服に着替えて、生活の動線を外れ、あの行き止まりの廊下の机の前でひざまずいて、僕は彼女の両親にあいさつをした。彼女を見捨てないし、絶対に自分の力の及ぶ限り幸せにしますと約束をした。雨の音がいつまでも聞こえ続ける深夜のことだった。

 

 その後彼女と別れて、仕事もやめて。……そのあとまた仕事をするようになって、それで頭がいっぱいになって、休日は家の中でずっと過ごすだけという生活をしていたある日、一人暮らしのアパートの部屋の玄関ドアの内側に不格好に取り付けられた金属の郵便受けからガコンと乱暴な音が響いた。中には、こぶしぐらいの大きさの石が1個入っていた。

 

 結局、彼女が本当に心から大好きだったのは自分自身だったってことだ。

 

 でも、それを捨てられずに、……彼女みたいに祭壇は作らなかったけど、部屋の机の隅っこのほうにハンカチをひいていまでもその石を保管している。君に「何?」って聞かれたときには、本当のことはいわなかったよね。学生時代の修学旅行のときの記念品とか、そんなふうに答えたはずだ。

 彼女の両親の手続きがうまくいったのか、結局知らない。そして、僕の持っているこの石が本当に彼女の変わった姿だとしたら、……そろそろ彼女の法律の手続きをしなければいけない時期がやってくる。僕はこういうことが全然できなくて、たまにしなきゃいけないって職場で思い出して、頭がおかしくなって惨めな気持ちになる。

 

 君(君がいないとなにもできない)を責めているわけじゃないんだ。それは本当。信じて。

 ただ、本当は彼女の言っていたことはすべて本当で、彼女は本当に心から僕のことが大好きで、僕の頭がうまく働かないのも仕事がうまくいかないのもあの子の石を捨てられなかったのも、全部本当は僕があの時の彼女の家のどこかで石になっているからで物質の薄い意識で今の生活っていうあいまいな幻覚を見ているだけだからなんじゃないかって、思うんだ。そうであってほしいとさえ、思ってしまうんだ。

 

 それがこんな頭のおかしいメモを残して、君のところからいなくなる理由と言ったら、君は怒るかもしれないけど仕方がないんです。

 最後に、君のことはずっと大好きです。本当に。本当に。