殺しは二十歳になってから


 幼馴染のミチは代々殺し屋の家系で、僕は、……そんな職業は実際にはないのだけど、対比してあえて言うならば殺され屋の家系だった。父も母も、僕を生んですぐに殺されてしまったし、祖父母もその親世代も、みんなみんな短命だった。幼いころの僕は自分の背負わされた理不尽な運命におびえ、いつでも泣いてばかりいた。孤児院の先生をたくさん困らせた。

 

 けれど成長ともに、おびえることにも慣れてしまって、いい意味であきらめをつけることができた。僕にできるのは、結局、短い命を精一杯生きることだけなのだ。

 

 いっときは不登校だったけれど、学校にもまた通えるようになって、中学校へ進学し、地域では悪くない偏差値の高校にも合格することができた。それは僕を支えてくれた周囲のひとびとみんなのおかげです、って内容を書いた作文で賞をもらったりもした。その作文ではあえて省いたのだけれど、……幼馴染のミチは、そういう僕の恩人のひとりだったりもする。

 

 院の自室で、進み過ぎてしまった朝の支度をわざと引き延ばしていると、外から僕を呼ぶミチの声がする。僕は支度を急いで終わらせて外へ出る。院の門のまえで、ミチが僕を待っている。手を振りながら駆けよると、いつのまにかミチは僕の背後にいて、手に持ったナイフを僕の顔のまえで振った。いつものことなのに、いつまでたってもなにが起こっているのかわからなくて、殺し屋の一族だけができる恐ろしい芸当に、僕は身震いをする。

 

「……今日こそ、……殺されちゃうかと思ったよ」
「なわけないじゃーん。だって、殺人は二十歳になってからって、法律で決まってるでしょ」

 

 どうかな。と、僕は心のなかだけで思う。ミチがどうなのかは知らないけれど、悪いやつらは成人する前にも平気でひとりやふたりくらいは殺してるって聞く。

 

「今日から私たちも高校生だね」
「楽しみだね」
「おなじクラスになれるといいな~」
「でも、うちの高校は10クラスもあるから難しいよ」
「はじまるまえからネガティブなこと言わないでよ」

 

 裏目になったらいやだから口には出さないだけで、僕も心のどこかではミチとおなじクラスだったらいいのにと思っている。小学校を不登校になったとき、毎日プリントを届けてくれたのがミチだった。しばらく時間がたって、学校に行ってみようかなって気分になったときに、いっしょに登校してくれたのもミチだった。その習慣はずっと続いていて、今日もこうやって、幼馴染といっしょに朝の道を歩いている。

 

 結局この日、僕たちはおなじクラスにはなれなかった。2年生になる日もおなじクラスにはなれなかったけれど、選択科目を示し合わせて、地学と書道の授業でいっしょになった。僕たちはうわさされたけれど、すくなくともミチは僕のことが好きではないみたいだった。はじめての殺しのターゲットとして離さないつもりではあったみたいで、それは夕日の差す放課後の被服室で、手のかかる刺繍課題の居残りをしているときに本人から教えてもらったんだけど、それ以上の気持ちを持っているわけではとくにないみたいだった。「どっちにせよ、殺しは二十歳になってからって約束でしょ」ミチはそう言って、殺し屋だけの魅力的な笑みを浮かべた。

 

「好きなひといないの?」

 

 逆にミチから聞かれたこともある。

 

「どうしてそんなことが気になるの?」
「だって、はやく子供を作らないと、でしょ?」

 

 殺されるまえに次の世代を残さないといけない。僕らのような家系に生まれた人にとってそれは大事な人生のテーマだったけれど、同時にプレッシャーでもあった。その一週間前に、遠くで暮らしている6歳年上の従姉妹が殺し屋に殺されて、その葬式に出席したばっかりの時期だったから、さすがにそれを聞いて僕は落ち込んだ。ミチのことが嫌いになって、かわりにおなじ陸上部だった先輩のことが好きになったのだけど、先輩にはずっと彼氏がいた。ふたりで話すときはそこまで彼氏のことを本気で好きではないようなふうだったから、いつか別れるんじゃないかと思ってずっと待っていたのだけど、そのときは来なかった。先輩は大学進学で地元を出てしまい、僕は地元の公立大学に進学した。ミチの進学先もおなじだった。

 

 十九歳のとき、真夜中にドライブをしていて、そのときにはじめてミチと手をつないだ。そしてそのままセックスまでした。誰が誰を好きなのかさえわからなかった。朝の光のなかでミチはふざけてナイフを取り出して、僕はそのことに我慢ができなくなってしまってキレた。

 

「それはしまえよバカ!」

 

 ミチはびっくりして泣いてしまって、そのままタクシーでホテルから帰ってしまった。僕も車で高速に入って、その日から三日間家に帰らなかった。なにもかもがうまくいかなかった。

 

 二十歳が近づいていた。

 

 二十歳になるのはミチのほうが先だった。誕生日の当日に、僕は適当なプレゼントを買って、電話をしてそこにいることを確認してから、ミチの家に向かった。もうそのときには、死ぬ覚悟はできていたのかもしれない。

 

 ミチの部屋のインターホンを押すと、ミチがそれにかすれた声で答えて、つぎの瞬間には背後を取られていた。殺し屋としての技術は、知らないうちにはるか高みまで磨かれていたようだった。ナイフの冷たい金属が、のどぼとけに当たって嫌な感触がした。僕はこの人生のことを、ほんのこまかな一瞬一瞬に至るまで、絶対に忘れることがありませんようにと祈りながら目をつぶった。

 

「うそだよ」
「……」
「ね、……え? うそだから、ね?」

 

 僕は目を開けた。ミチは僕の顔のまえで、ナイフをひらひらと振った。

 

 僕はつとめて冷たく言った。

 

「二十歳になったから、ミチはもう人を殺していいんだよ?」
「だめだよ…」


「なんで」
「だって……」


「だめな理由なんてない。法律で認められてるんだから」
「でも……」


「なんで」
「だって、……まだ二十歳じゃないじゃん! まだ、二十歳になんてなってないんだから」

 

 それが僕の年齢のことを言っているのだということに気づいて、がっかりしてしまった。すべてがどうでもよくなった。ミチのことがずっと好きだったのだということが、いまになってはっきりと分かった。

 

 うつむいて泣いている彼女を見すてて、車へと戻った。これからどうしようか、どうやって生きていこうか、僕の人生はいったいなんなのか、……なんの考えも浮かばなかった。

 

 またあの夜みたいに、しばらく高速道路をさまよおうか? それもいいかもしれない。行けるところまで行って、……日本を一周してみるのも楽しいかもしれない。

 

 そう思って、運転席のドアを開けた瞬間。

 

 一瞬の油断が、僕にはあったのだろう。いや、油断なんてしてもしなくてもおなじだったのかもしれない。ミチは凄腕の殺し屋なのだから。いったん彼女が決意したら、僕には抵抗の手段なんてないのだ。

 

 いつのまにかミチが助手席に座っていた。あっと驚くひまもなく、僕ののどは彼女のナイフによって引き裂かれ、僕は永遠に、二十歳になることはできなくなっていた。