「100日後に死ぬワニ」の神回は93日目

 

 周りを取り巻くいろいろなものの動きがすさまじいため、ひょっとしたらあまりちゃんとした話題になっていないような気もしていてもったいない。「100日後に死ぬワニ」は、本編だけ見ていてもとても面白い。

 

 「100日後に死ぬ」という枠外の宣言があるために、ワニのふだんのくらしの様子が読み手にはべつの意味を持って感じられ、その意味の重なり合いやアイロニーを見せる、というのがこの作品の基本的な戦略だろう。

 その実施に用いられている作戦がこれ。「もうそのころには君死んでるじゃん」パターンである。これは頻出で、早くは2日目の「雲布団が届くのは1年後」が初出で、16日目の「2(映画の続編)見たい」、87日目「大会次も出るっしょ」などがあげられる。17日目の「備蓄肉ぜんぶ食べる」は「それはそれでOK」となる変則パターンだった。

 

 もうひとつは、「死」とか「殺す」といった言葉やシチュエーションがカジュアルに現れる日常の場面を切り取るパターン。45日目「VR高所体験」、72日目「死ねや」、88日目「死んだらswitchあげるよ」などがこれにあたる。

 あと、子供をあやしたり、お年寄りに席を譲ったりするシーンがすこしだけ反復されるのだけれど、それは考えようによってはこのモチーフの反転形なのかもしれない。

 

 そのふたつのような反復される「死を想え」モチーフが「100日後に死ぬワニ」の縦糸だとすれば、「ワニ子さんとのラブストーリー」「仲間たちとのくだらない日常」のふたつのストーリーは、横糸となって作品としての連続性を与えるという形で作品に寄与している。

 前者にはシンプルながら、明確な出来事のつながりとしてのストーリーラインがあるが、後者のほうにはそういったものはなく、かわりに、20代くらいのなんとなく生きている非正規雇用性コミュニティの空気感みたいなものがきれいに描かれている。アプローチの違うふたつのメインストーリーがあるのは描くほうとしてはとてもやりやすかったのではないかと思われる。

 

 単発の時間差対比もとてもいい味を出している。もはや手に入らないと思われていた雲ぶとんが終盤近くでなんと手に入ってしまうシーケンスは物語の構造としてひと技あって素晴らしい。

 

 そのつぎの日、さっそく雲ぶとんで快眠。すっきりと目覚める回はじつは、22日目「目覚ましが鳴ったけど二度寝して1日が終わる」の発展的な再現部になっている。23日目「転売屋から雲ぶとんを、……買わない!」の回も加えて、この4つの回は美しい調和をなしている。ここで構造面での見せ場はすべて終わり、あとはワニの死に向かってストーリーが、余韻のなかに進んでいくだけである。

 

 僕は物語の内容にはつねにあまり興味がなく、構造がきれいなときにはめちゃめちゃ感動してしまうという変態なのですが、「100日後に死ぬワニ」はこの92日目、93日目の二重の再現がやばくてここで大泣きしてしまった。自分でもなんでこんな無機質に泣くのかわからん。救いようがないな。