なぜかわからないけどずっと忘れられない記憶のずっと覚えている理由を考える

 

 小学校6年生のころ、ちょうどブログが流行っていて、そのときの担任の先生もブログをやっていた。「熱くなれ!」みたいなタイトル*1で、当時の6年1組の日常の出来事を簡単に紹介したり、クラス行事の写真をあげたり、教師としての持論などを発信していた。

 

 そのころ僕がよく遊んでいたおなじクラスの友達に「翔」という男がいて、丸顔で頭を丸刈りにしていて、かつ気のいい性格をしていたので「クリリン」というあだ名で呼ばれていた。

 実際に名付けたのはたぶんそのときの先生で、僕たち的には「クリリン」は正直世代ではないのでそこまで広く浸透していたわけではないけれど、まあ、聞いたら「翔」のことだとはわかるし、自分で言わないこともないかな、くらいの通りをしたあだ名ではあった。

 

 ある日、「翔」と自転車に乗ったりして遊んでいて、ひととおり遊んだあと僕か「翔」のどちらかの家で水分を取りつつ休んでいて、そのときにパソコンをちょっと触っていた。「そういえば先生、ブログしてたよな。見てみようぜ」ということになり、ブログを見て、ちょうどそのときの最新の回に、「せっかくだからコメントしようぜ」とコメントをしたのである。

 

 コメントをするには名前欄になにか名前を打ち込まなければいけなかった。「そうだい、やれよ」「翔やれよ」といったやり取りのあと、折衷案として「クリリンにするか」となり、くりりん、と文字を入れ、スペースをキーを押した、すると「栗林」になった。

 そっちのほうが、ちょっと、あだ名にさらにひとひねりがされていて、プレティーンだった僕と「翔」には好ましく思えたので、そのままコメント送信することにした。

 

 それを忘れかけていたころ、先生と世間話をしていて、「そういえば、ブログまだやってるの?」*2と聞いたら、「それがよー。なんか、栗林(くりばやし)さん、って人からコメントが来て、ひょっとして同業の先生かなと思って、やべー、見られてるし、ってなってちょっと焦ってる」って真剣な顔で言われた。

 

 ……というくだりを、なぜだかわからないけれどずっと覚えている。ちょっと笑い話ではあるけれど、忘れられないほど面白いわけではないし、「翔」もその後付き合いが長く続いた友人ではない。それに、その年にはその先生に体育館の2階から体罰で蹴り落とされる、などといった濃いエピソードがたくさんある。

 

 この記憶の、どこを評価して、僕の頭はおぼえていたいと思ったのか。

 

 ……本当のところは脳科学*3に聞いてみないとよくわからないのかもしれませんが、個人的な意見としては、これが、このときの12歳ごろからすこしずつ経験して知っていくことになる、「先生」が僕とおなじような考え方や勘違いをする、そして、僕と共有しているものだけではなくその人の生活と世界を持っている、おなじ人間であるということに気づくきっかけとなった、最初期のエピソードだったからなんじゃないかなと思う。

 

 僕のなかでは、「栗林」と書けばそれは100%クリリンと呼ばれる6年1組の「翔」のことだと思っていたけれど、先生の世界には(考えてみれば当たりまえだけど)「栗林(くりばやし)」という名前の同業者がいることもありうる。そして、そういうひとがコメントをしてきたかもしれないって思ってちょっと襟を正すことだってありうる。

 そういう可能性を、教えられたら理解できたはずだけど、教えられずにあらかじめ想定することはできなかった。

 先生がうろたえていたのは面白かったけれど、そこに思い至れなかったのがすこし恥ずかしくもあった。

 

 そういうことを先生に言ったら、「いまのうちはそうかもしれないけれど、もう少ししたら、そういういろんなことが自然とわかってくるよ」というようなことを言われた。その当時は、本当にそうなのか疑問に思う気持ちのほうが強かったけれど、……答え合わせは自分の人生ですることになる。

 

 なぜかわからないけどずっと忘れられない記憶のずっと覚えている理由は、たぶんそういう心の動きがあったからなのではないかと思う。

*1:正確な名前をたぶん覚えているが、ここではあえてテイストのおなじべつの名前を使っておく。ただ、この記憶には結構自信があるけれど、それ以前に一般論として人間の記憶は不確かなものである。なので、あえて外したつもりのこれが、じつは本当の名前である可能性もある。

*2:中学生までは先生にはため口をきいていた。

*3:茂木健一郎とか。