ペンキは食べ物みたいな感じではないのにね。~リチャード・ブローティガン詩集『突然訪れた天使の日』~

 

突然訪れた天使の日―リチャード・ブローティガン詩集 - Amazon.co.jp

 という詩集を読んでいた。

 

ぬりたてのペンキ

葬儀屋の前を通るとぬりたての
ペンキの匂いを思い出し胃のなかに
その匂いを感じることができるのはなぜだろう?

  ペンキは食べ物みたいな感じではないのにね。

 リチャード・ブローティガンの詩は個人的に好きだし、あまり詩を読まないけど読んではみたいよ!というときにおすすめしやすい作家だと思う。

 どの詩も短く、どちらかというと意味重視の作風なので翻訳で失われる部分が比較的少なく*1、あと投げやりに書かれたっぽくも見えるので読む分にもあんまり緊張することがない、……というのたちがその理由になるでしょうか。

 

一月三日

きょうは出だしをまちがえた
だけどもっとよくして
ちゃんとした一日にしようと思うんだ。

 「こんなの俺でも書けるだろ」と一瞬思うのがいいんですよね。そこで拍子抜けするからこそ、詩のことが印象に残って、ちょっとページに滞留するうちに、どの作品にも自分の感想を入れれるポケットが1個はあることに気づく、……という感じ。

 

モンタナ財産目録

時速85マイルで走る車のフロントガラスに
サフランの花びらのようにたたきつけられた虫一匹
とスピードでなめされたその虫の上にひろがる青空にうかんだ
  白い雲一片。

 気楽な気持ちで読んでいたら、たまに詩のプロパーな作品があって感動する。情景の喚起、言葉の細かい使いかた*2、主題選定、比喩、どれをとってもすごい詩である。

 訳者あとがきでは、ブローティガンと日本とくに俳句とのかかわりについての言及があるのだけど、これも(めちゃくちゃアメリカンで、季節はないが風景は感じる)俳句っぽい作品になっているのではないでしょうか。

 

 伝統的な詩のテクニックを使いつつも、作者性もしっかり作品に刻まれているの良い。

 

掘ったばかりの墓穴のように妙に若々しく

掘ったばかりの墓穴のように妙に若々しく
一日が独楽のように回りながら進んでいく、
  影の部分に雨を降らせながら。

 投げやりでもなければ伝統的でもなく、……ただとても複雑で深遠な*3作品もまれに出てきて、この作品とかは非常に好きだった。

 生活の影の部分に思いをいたしたり、想起させるものがなかったにもかかわらず死のことを考えたりするときに思い出す、個人的な愛唱の詩になるんじゃないかという気がしている。

 

昔の関連する回:

Laundromat(イギリス英語ではlaundrette) - タイドプールにとり残されて

*1:たぶん。

*2:「スピードでなめされる」っていいですね。たぶんいままで誰もこのコロケーションで使ったことない言葉だと思うけど、意味がちゃんと伝わる。

*3:たぶん。