人生に対する無条件で肯定的な関心~イーユン・リー『千年の祈り』~

 

 イーユン・リーは北京で生まれ、天安門事件を体験、その後アメリカ合衆国に移住して市民権を取得した英語で創作をする小説家である。「共同体」そのものを語り手に据えた実験的な体裁を持つ短編「不滅」*1でデビューし、そのまま現代アメリカのもっとも重要な作家のひとりに数えられるまでになった。

 

 ……という経歴やステータスをもつ作家なので、だいたい面白いんだろうとは思っていて、「面白さが保障されているっぽいし、じゃあとくにつぎ読みたいものがなくなったときに適当に読んで流すか笑」みたいなスタンスでずっといた。それで最近読んだんだけど、ぜんぜん流せるような密度じゃなかった。レベルが違う。

 

 一日に三回、林ばあさんは唐じいさんにインシュリン注射を打つ。そのときだけ、唐じいさんの体に残った生命力が、ちょっぴり顔をのぞかせる。腕に針を入れるとき、筋肉がぴくっとたじろぐのだ。針を抜くときわずかに血が出ることがあるのだが、林ばあさんはそれを脱脂綿ではなく自分の指先でぬぐいとり、彼の血が体にしみこんでいく不思議な感覚にうっとりする。(「あまりもの」)

 一発目の「あまりもの」の時点で端的に神。ひとりの抑圧された女性の後半生をダイジェストのように描く物語なのだけど、その女性の恋、……というか他人とのロマンチックであたたかな関わりかたが物語の中心に置かれていて、浅い言い回しになってしまうがかなり「深イイ」話になっている。

 飛び道具に頼らずに丁寧に書ける作家なのだけど、そのうえで物語に組み込む要素の数も多く、けど乱雑にならず、読みやすく、まとまっている。

 

 ほかの収録作を読んでいってもすごい。基本的にはヒューマニズムあふれる、長編小説の一部みたいなドラマが描かれていることが多いのだけど、構造を入れたり、まさかの展開でひっくり返したり、作中の小さな要素と大きなテーマを対応させたり、……などなど技も多彩でどれも質が高い。

 自分をとりまく運命に打ちのめされている人物が描かれ、殺人や欺瞞、人間の美しくはない部分がふんだんに描かれるけれど、作者はそんな人生に対しても、無条件で、肯定的な関心を抱いている。

 そのうえ、自身のエスニシティを作品に反映させるしかたも習得しているし、世代間の対立やジェンダーの問題といった文脈も消化していて、しかも中国の古典や現代アメリカの作家に対する参照もあり、文学の大きな流れの中での立ち位置も確保している。

 

〈もちろん、よくない関係にも理由があるんです――わたしは娘のために、いいかげんな祈りを千年やったにちがいない〉(「千年の祈り」)

 色々な切り口で褒めることができるすごい短編作品ばっかりだけど、ただすごいだけじゃなくふつうに適当に読んでても面白い。

 個人的にいちばん好きだったのは、最後に収録されている表題作。ロケット工学者である中国人の父が、離婚した娘を訪ねてアメリカに行くと、そこでイラン人の高齢女性と話仲間になる。おたがい簡単な英語しかしゃべれないので、自分の人生を振り返った重い話をするときは、相手が理解できない自分の国の言葉になる。……というギミックをまずひとつ使った話で、誰かに向けて語ること、誰に向けても語ることのできなかったこと、語ったときに語り落としたこと、語られていないけど伝わったかもしれないこと、……というテーマがきれいに描かれている。

 

 引用した部分からあとはもうずっと泣いてました*2。読むか読まないかでいったら、絶対読んだほうがいいですよこの本。おすすめです。

*1:『千年の祈り』に収録されている。

*2:話すっていうのはいい加減に祈るってことなんだよな……(2022年3月追記)。