風に差別はない
心にも、体にも、男にも、女にも、ひとしく風は吹く
主人公は憧れの男の子「吉岡君」に会うために上京してきた女の子。彼女はからっとして性に奔放な「エミ」や、「心理学」を学ぶゼミナール生集団、オタクくんって感じの「テルオカ君」、そして憧れだったあのころの面影もはやなくなってしまった「吉岡君」に出会い、なんやかんやで最終的には「恥ずかしさ」の研究をしているというキモダンディな教授「平山」の実験に協力することになる。……というお話。
「こういう映像がかっこいい!」という美意識を鑑賞する、映像でできた詩みたいな映画なのだけど、意外とふつうに面白く見れた。
どちらかというとプラトニックな主人公の「執着心」は報われるのか…?という堅めの恋の課題があるところに、ひたすら「エミ」のほうはヌードが描かれるので、セクシュアルな引きの緩急が生まれていて飽きない。
また、作品の舞台となっている「大学」が、へんな人たちがよくわからないルールで行動している、魅力的な異界に見えたのも面白かったところだと思いました。情けないのであんまり「こういうキャンパスライフを送りたかったな…」といった感想は持たないように、ふだんは自らに禁じているのですが、この映画を見ているときはちょっと思った。
違うとは思うけどある意味「森見登美彦作品」と言ってもいいんじゃないでしょうか?*1
見終わった後調べてみたら、「神田川淫乱戦争」という作品でデビューした黒沢清さんというひとによる1985年の作品で、もともとは日活ロマンポルノから制作を委嘱された「女子大生 恥ずかしゼミナール」というタイトルの作品だったらしい。
だからあんなに性的だったのか。なんか芸術的なヌードなんだろうな…と思いながら見てたわ!
でも、映像に魅力があって世俗的な引きもあって、いい映画だと思いました。
ちょっと画が「若い」らしくて、映画好きの人だとけっこう「見ていて恥ずかしくなる」作品らしい。ただ、個人的には映像や演出は難解ではないな、面白ポイントはわかるなと感じたし、センスを押し付けてくる息苦しさもないと思う。画の情報量が多いところもあれば、息抜きできるところもあるので、見ていて疲れるということもなかった。*2
高尚さと俗っぽさと気楽さのバランスの良さ、あとしっかり性的なところから、……「とりあえず家で映画流しとくけど、タイミング見てもう一回するか」みたいな感じになっているサブカルカップルにちょうどいい映画なのではないでしょうか。このブログを読んでいる人で、いまそういう感じの空気感になっている人はぜひ観てみて下さい。
とてもぴったりなので、ひょっとしたら、「花束みたいな恋をした」のそんなシーンで引用されてたかもしれないです。