模擬試験を受けると「結果データまとめ冊子」みたいなものがアフターサービスで返ってくる。それに目を通して、受験期のわりと早い段階で思っていたのが「英語と数学で8割決まって、国語は誤差だな……」ということだった。
全受験者の得点分布とかが出るんですけど、英語や数学は「できるひとはできるし、できないひとはできない」みたいな感じになるんですけど、国語は「できないひとでもそんなにできな過ぎるという点数にはならないし、逆にできるひとでもそこまで飛びぬけた点数にはならない」という感じになる。
分布が中央に寄っていて、点数での差があんまりつかないっぽいんですよね。なので、国語を頑張っても数学での失点をカバーするのは難しい(逆はできる)。
僕はどちらかというと、国語の勉強、……けっこう好きだったので渋々だったけど、勉強のリソースは大きく数学・英語に傾斜することにした。国語はすきま時間に古文の単語を覚えたり、漢文の構文*1を覚えたりするくらいだった。
なので、勉強法といえる勉強法というのはないのだけれど、国語の勉強についてはひとつだけ重要な7時間くらいの思い出がある。
現代文。……「答えは必ず問題用紙に書かれているんだよ」みたいなことを言われたことがありませんか?
ある日ふと思い立って、答えが書かれているのであれば、時間を無制限に使ってなんども問題文を読み「もうこれ以外の答えなんて絶対にありえない」と確信できる答案ができるまでずっと一個の問題を解き続けたら満点が取れるのでは? と思ってそれを実行に移したことがある。
どんな文章を読んだのかとか結局満点取れたのかどうかは忘れたが、そのとき午前と午後、7時間くらいかけてひとつの文章を読んだときの感触はありありと覚えている。そのときわかったのは、文章を正確に読むというのはそれまで思っていたよりもだいぶ難しいものだということ、3分くらいで読める文章のなかにもつきつめていけば無数の謎があること、つきつめていきながら、……その文章についての自分なりの理解を形成していく作業はけっこうスリリングで楽しいということだった。
最終的に受験が終わるころには、センター試験でだいたい190点前後、2次試験でだいたい75点前後(120点満点、合格者平均はだいたい65点くらい)を安定して取れるくらいの受験力と、文章を読むことへの強い興味が身についていた。
それがあっただけでも、勉強ばっかりしていたあの日々を、本当に嫌いになることはできないでいる。
*1:高校でやる漢文と、あと化学! 今後への繋がっていかなそうさがすごくて非常にテンションが下がった。とはいえ漢文で中国の古典文法をやるわけにもいかないし、高校の化学で電子軌道とかを勉強するわけにもいかないので、なかなか、教える立場や教えることを決める立場からみても難しいのかもしれませんが……。