ネットに短歌を投稿し、返歌がくれば、その人と一緒に旅行できる──そんなWebサービスを、宮崎県日向市が11月4日から期間限定で提供している。
サービス名は「ヒュー!日向 マッチング短歌」。ユーザーはサービス上で短歌を投稿するか、既に投稿された短歌に対し、返歌を詠むことができる。返歌のやりとりがあればマッチングが成立。
というウェブ町おこしの記事がおすすめで回ってきた。その記事の中に、「短歌と返歌の例」として置かれていた歌が面白かった。
・このプロジェクトで初めて「短歌」を見るよ、って人も想定しているはずなのにいきなり「りんね りんね」で始まるの覚悟がある。
・「きみに逢うため~」以降は抽象的で、ありがちといえばありがちな発想*1なので、この歌だけで直ちに良いかと言うとそういうことはなさそう。
・ただ後述するように、この歌には返歌をひっかけるいいとっかかりがいくつかあって、お題としては非常に面白いものになっていると思う。
ねんりんは君との深い刻印で生きたきずなを未来へ残す
・「年輪」をひらがなで書くことによって、「りんね りんね」の部分に音を合わせてひっかけている。「りんね りんね」とくりかえし言うと「年輪」に聞こえてくるでしょう、みたいな。「年輪」(年ごとに増えていく輪っか)と輪廻の意味的な近さも合わせてここで詩としての面白ポイントが生まれている。
・歌全体の意味としては、「いきなり重た!」という感じで、返歌以外の方法でこのメッセージが来たら気持ち悪いが、「まあこれは歌に返歌をするあそびだから」ということでぎりぎり許せるものになっている。これも、短歌というメディアのいいところですね。いきなり言っても許してもらえる範囲が増える。
地下鉄を降りるあなたの手を引いて半分奪い去りたい輪廻
・いきなり「地下鉄」が出てきて「お題とどういうつながりが……?」となるところを最後の部分できれいにお題とつながる種明かしをしていて爽快である。
・お題の歌に「景色」がないので、返歌する人は自由に具体的な情景をつけることができる。
・これもいきなり「あなた」にほぼプロポーズしていて、「重…」という感じなのだが、これはあくまで返歌というゲームなので以下同文。
ぼんのうが消えるでしょうか風になりあなたの窓のふうりんを撞く
・このなかでいちばんいい歌ではないでしょうか。
・風鈴が鳴るのを聞く、とかじゃなくて「風になって風鈴を撞く」という発想がまず新規性が高いし美しい。
・ひらがなを多めにして最後の「撞く」を際立たせたり、お題の「輪廻」を「風になる」という形で発展的に継承したりと、使われているテクニックも総立ちで主題を引き立たせている。
・「ぼんのうがきえるでしょうか」と、これまでの歌と比べてちょっと遠回しに求愛していて一見奥ゆかしく見える。が、こっちのほうが断ったとき罪悪感を感じさせるという、からめ手のアプローチをしておりやはり気持ちが悪い。(短歌でよかったね)
転生の最後の切符で乗り込めば向かいの席で鈴ならす君
・転生して転生して最後に君に出会えたよ、……という新海誠みたいなことを言いたい歌なのでしょう。
・これは最後の「鈴」がきれい。最初の歌を読んだとき、「りんね りんね」が鈴の音のように見えた人もいると思うのだけど、最初の歌だけではその解釈を通す積極的な証拠はない。ただ、こういうふうに「鈴」をしのばせた歌をつけることによって、最初の歌に解釈を返すことができるんですね。「私はこう読みましたよ」と、ささやいているみたいな。
・元歌と返歌をペアでひとつの作品とみなしたときには、初めの歌の「りんね りんね」を鈴の音とする読みかたも説得力を増してくる。協力してひとつの作品を作り上げることになるのである。
・歌の意味は新海誠みたいなので当然気持ちが悪い。(でも短歌としてはきれいです)
(上で「気持ちが悪い」というのは全部「いい意味で」のことで、disの意図は一切ありません)
全体的に、どの歌も短歌としてのテクい部分、読みどころをしっかり用意しつつ、言葉選びとかはちょっと陳腐寄りにしていて(全体的にもうすこし渋くした方が、短歌としては好きな人が多そうである)、そこも意図的なもの、短歌とマーケティング両方へのリスペクトを感じる。
このバズをきっかけに短歌と返歌でマッチングする文化が日本に根付いてほしい*2……、は嘘ですが、主催の日向市がもっと盛り上がってほしいなと思いました。