最近、お米を炊くのにはまっている。
最近食欲と米愛が爆発してて米炊いたらその瞬間に全部食ってしまう。
— soudai (@kageboushi99m2) 2024年3月14日
今日も4合食った。
やばすぎる
お相撲さんにはなりとうない……ToT
お米を炊くくらいあたりまえのことではないか、と思われる向きもあるかもしれませんが、個人的にはこれはけっこう大事なんですよね。なぜかというと、僕はわりと昔から米のアンチをやってきていて、そのぶんパン派とかほかの何か派だったのかと言われると別にそういうこともないのですが、とにかくお米を否定できるタイミングがあれば基本否定して暮らしてきたのである。
子供のころは毎晩食卓にはいちおうご飯は並んでいましたが、米を特別おいしいと感じたことはなく、日本人は米しかなかったから今も米を食べているんだろうな…(マックがあればマックを食べただろう)という認識でいた。成長して自分の食事を自分で用意するようになってからも、あえて米を食べようという気になったことはほとんどなかった。
定食とかで、頼んでないのに米がついてくるときがあるじゃないですか、べつに米の味が嫌いとかではないので、そういうときにはひと口か二口くらいは食べるのですが、米との接点と言えばそれくらいである。
しかし最近、……3月に入ってくらいからなのですが、めきめきと炊飯の頻度が上がり、またラップに包んである程度持ち越すのではなく、おいしすぎてその場で食べきるようになってしまった。流れが変わったと言わざるを得ない。
しかも食べかたも、これまでは米を炊いたらレトルトカレーをかけたり、肉野菜炒めをかけてすた丼風味みたいにして消費していたのですが、最近はつけものや梅干しと一緒に食べたり、素茶漬けにしたり、海苔を巻いてちょっと醤油を垂らして食べたり、ふりかけをちょっとずつかけて食べたり……、と、あきらかに「米」の風味そのものを味わうものへと進化してきている。
米のアイデンティティって、"スイデンティティ"じゃね……?
— soudai (@kageboushi99m2) 2015年5月30日
うちの父は警察官で休みの少ない人だったんだけど、珍しく休みだったある日、「よしそうだい、今日は焼き鳥を作ろう!」って言ってベランダに米を撒いて雀が来るのをずっと待っていた。俺は子供だったから普通に楽しかったけど、お父さんは疲れてたんだろうな…。なんで労わってやれなかったんだろう。
— soudai (@kageboushi99m2) 2015年7月31日
料理が下手すぎる俺にしては喰えるものが出来て大満足だ…!やはり、
— soudai (@kageboushi99m2) 2016年3月16日
・炒め物は二種類以上の食材を使う
・塩をかけすぎない
辺りを徹底したのが吉と出たっぽい。人間は成長する…!次は
・米を炊く
・お箸の色をそろえる
を目標に頑張るぜ…! pic.twitter.com/58HlWWczRY
対比をはっきりさせるために昔の自分の米に対する言及を探してみた。直接はっきりと米を軽んじている言葉はやはり火種になるからか、書き込んでいませんでしたが、米にたいしてマイクロアグレッションをしているツイはいくつか見つかった。
自分でもびっくりなんだけど、こんな有様から米を好きになることってあるんだな。人生には何でもあるようである。
展望
最近気づいてびっくりしたんだけどお米って水の量を気にする必要完全にないんだな。(水加減で仕上がり具合は変わってくるが結局どう炊いてもそれぞれにうまいので一切気にしなくていい)
— soudai (@kageboushi99m2) 2024年2月26日
これからの展望としては、いまはけっこう水の量などをあえてアバウトにしているので、その分散の中から個人的なベスト配分を見つけたいですね。
あと、銘柄や炊飯器の質などにもこだわりを持っていきたい。いまはどちらもエントリークラスのものを使っているのだが、これだけ好きなら、1歩か2歩くらい階段を上ってもいいのではないだろうか。