これを聞かれたのは12月9日だったので今更感は本当に否めないが、いちおうその当時を振り返って考えると、いちばん楽しみだったのは年越しイベントだったと思う。東京に出てきてからの僕は、伝統的に高校時代の旧い友人たちと年を越していて、今年も同じような年越しを計画していた。
例年通り高校の友達と過ごしていると思いますが細かいことは未定です。去年は麻雀いっさいわかんないのに高校の友達と「咲-Saki-」見ていたら年が明けていたという最悪の年越しをしてしまったのでそれは避けたい。おととしは「俺らなりの紅白をしよう」とかいいながら高校同期とずっと曲を流していた。 pic.twitter.com/R3S26xqswG
— soudai (@kageboushi99m2) 2017年12月23日
今年の年越し会に持っていく小ボケ、「今日誰が最初に年越す??🤣」で決まりだ。
— soudai (@kageboushi99m2) 2019年12月29日
高校時代の友達三人と計四人で初詣に行ったら、神社がめちゃくちゃ混んでいたので、ギャグのつもりで、「はぐれるといけないからみんなで手をつないで歩こうよ!」って言ったら、友達に「お前は思考がゆるゆりに染まり過ぎてる」って怒られた。
— soudai (@kageboushi99m2) 2016年1月1日
何年も何年も続くような行事ではないことはわかっていて、「こうやって集まるの、今年こそ最後になるのかな…」とそれぞれが心のどこかで思いながら集まっているのが個人的にはエモくてかなり好きです。来年もやろうね。
僕は白米は週に10粒くらい食べられればそれで満足だったし、弟ふたりも僕ほどではないにしてもまあまあ小食だったので、お米はぜんぜん減っていなかったと思います。「どうしてこんなに減らないのかしら」と母親はよく不思議がっていた。母親は自分が子供のころは毎食1合くらいお米を食べていたそうです。
これはひとによってそれぞれだと思うのだけど、僕はフィクションを書くときに自分の人生を切り出すことをほとんどしないタイプなのでした。やったことがまったくないわけではないのですが、自分のことを加えてしまうとどうしても恥ずかしくなってしまう。自分について語るよりは、自分が見聞きした、自分ではない物事についてなにかを言うことのほうが好きなタイプで、その性質はフィクションを書くときに限ったことではないと自分で思っています。
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