アフリカのことわざの意味を考える

 

 「アフリカのことわざ」というbotが好きで、よく見ている。どれくらいよく見ているかというと、「おすすめ」タブ*1にふつうに何度も流れてくるくらいである。

 これまでは、流れてくることわざをただ見ているだけだったのですが、最近やっと段階をひとつ進めて、ことわざの「意味」を考えながら見るようになったのである。

 

アフリカのことわざの意味を考える その1

 これはなかなかわかりやすいですね。つまり逆にいうと、自分がピンチになったときに助けてくれる人というのは、自分が特にピンチではない、むしろかなり大丈夫なときにもいろいろ気を回してくれるような人なんだよ(そういう友人を大切にしなさいね)という意味でしょう。

 

 あ、ちょっと待ってください。さっきのでも間違いじゃないとは思いますけど、ちょっと自分本位に考えすぎたかも。

 「日照り」ということは、助けてくれる(くれない)件の友人もピンチに陥っているわけで、「全体的に我々がうまくいっているときに助け合いをしない人は、全体的にピンチになったからといって、じゃあ助け合ってくれるかというとそうはならず、そのまま利己的なままだよ」みたいなことを言っているのかもしれない。

 

 たしかにそうだよな、とうならされるものがある。

 

アフリカのことわざの意味を考える その2

 こちらは考える以前にツイートに意味が書いてあるのですが、日本で言うとそれは当たり前*2なので、日本で使う用にべつの意味を考えていきたい。

 

 「ポケットに硬貨一枚だけなら」というのは、「たとえ裕福ではなくても、恵まれてはいなくても」ということで解釈はぶれないと思う。「雑音」をどうとらえるかだ。

 

 ここで注目したいのは「雑」音としているところ。ポケットに硬貨が1枚入っていたら、雑以前に音は基本的に出ないと思うのだが、そこをあえて「雑音」が出ないと言っている。

 しかし、硬貨がなるチャリンという音は必ずしも雑音なのだろうか? ……まあこれは人によるでしょう。「富の獲得」をイメージさせる快い効果音*3だと感じる人もいれば、わずらわしい雑音だと思う人もいる。

 

 つまり、このことわざはある意味アイロニーだと思うんですよ。「お金をあんまり持っていなければもっていないで、(もちろん寂しいこともあるんですが)それはそれとして世の中の厄介ごとに巻き込まれなくて済むよ!」ということ。

 これがこのことわざの意味で間違いないでしょう。

 

アフリカのことわざの意味を考える その3

 エ!!!???!??!!!!?!!!!!? めっちゃ深くね!!!??!

 

 タイムラインで見たときは本当にびっくりした。「美とは、からっぽのヒョウタンである」、……非常に逆説的ですよね。空っぽというのは乏しいことで、ひょうたんというのは日用品、どちらも「美」とは、……普通の感性では結びつかないもののはずなのだが、逆にそういったものを「美しい」とすることが、さらに「上のレベル」の芸術であるというのもよく知られていることである。

 

 そしてこれは、日本的な感性にもマッチしていますよね。わびさびとか、あえて枯れた風景の中に「美」を求めるみたいな。

 いや~、恥ずかしいが完全に説得されてしまった。このツイートを見てから正直、宮殿や黄金、ハリウッドスターなどを見ても、「オイオイ、美とはからっぽのヒョウタンのことだろ?」としか思えなくなってしまった。

 

 ただ、いまこの文章を書いていて、ちょっと別のことも思ったんだけど、これひょっとして、「空っぽのひょうたん」→「スリムで、くびれがある」ということだったり、(いや、嘘だろ?) ……しないよね?

 

 なんか、そんな気もしてきた。

 

 だとしたら、浅すぎる。

 

結論

 ことわざにはいろいろな意味が考えられるが、そのなかには「浅すぎて嫌だな…」と思うものもある。

*1:ユーザーが興味を持ちそうなものしか表示されない。

*2:川谷絵音など多くの人が身をもって示した。

*3:ゲーム「スーパーマリオ」では、この硬貨の音が効果的に使われ、プレイヤーをステージのさらに先へ先へといざなうインセンティブになっている。