僕は窮乏を訴えた、ブダペストで宿がないこと、自分の国では政治犯として追われていること、その間彼女がなんどもため息をつくのが聞こえた。僕のハンガリー語のせいだった、あまりに早々と劣化を見せた僕のハンガリー語に哀れみをもよおしたのだ。
外国語を身につける一番手っ取り早い方法はその言葉を話す恋人を作ることだ、というのはけっこう聞くし、ある言語を習得したいという強い熱意は恋と似ているものである、と逆向きにたとえるのもよく見かける。『ブダペスト』(シコ・ブアルキ著)は、そういう、言語習得と色恋のもつ比喩的な、あるいはダイレクトなつながりが描かれている小説だと思う。
主人公はポルトガル人のゴーストライターで、あるとき気まぐれに参加した「世界ゴーストライター大会」(的なもの)で訪れたブダペストでハンガリー語と運命的な出会いをする。ハンガリー語のテキストはないかと訪れた本屋で、インラインスケートを履いた女性にこういわれる、――正確には(ハンガリー語は聞き取れないので)こういわれたのではないかと思う。「マジャール語は、本では身につかない」
美しい、白い、フェチェケの煙草、テーブル、コーヒー、インラインスケート、自転車、窓、車、ペテッカ、嬉しさ、一、二、三、九、十、そこで僕は我に返った。ハンガリー語を習うことなんておもちゃのようなもの、本当に難しいのはそれを頭から消し去ること。そして、想像するだけで震えたのは、間もなくクリスカや彼女の故郷から離れると、これらすべてのハンガリー語の単語も、帰国者の財布に残る硬貨同然になってしまうこと。
ここまでの話だとちょっと誤解を与えてしまうけれど、『ブダペスト』はそこまでロマンチックなお話ではない。どっちかというとシュールで軽快なコメディのなかに、言語習得と色恋の関係を埋め込んだ、情熱的というよりは理知的で、技巧に富んだ作品である。*1とくにメインストーリーははっきりと奇抜ではないが、なんか妙に脈絡なく進んでいくので、ちょっと読みにくいではあるものの、そのぶん意外性があって楽しい。テーマ性というよりは、読み味とストーリーを楽しむ気楽なお話だ。
作者のシコ・ブアルキさんはシンガーソングライターや詩人、作曲家*2、サッカーファン、独裁政権への反逆者としても活躍しており、小説家というのは彼にとってはどちらかというとマイナーな一面のようである。
『ブダペスト』にもちょっとだけサッカー要素がある。最近、サッカーがちょっとでもモチーフになっている小説を集めているので、個人的にも良い収穫でした。
*1:と僕は思ったが、ラテン系の言語をしゃべる人たちにとってはふつうにロマンチックな話に映るのかもしれない。これはちょっとわからない。
*2:リオデジャネイロオリンピック開会式に楽曲を提供したらしい。