「進学天使」

 

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 久井諒子の「進学天使」をwebで(非合法ではなく)読むことができる*1。「進学天使」は本当にすごい。

 

 まずは画の引き出しの多さがすごい。基本的に漫画家というのは自身の画風というものを持っているものだけど、久井諒子は天才なので話の内容に合わせて画面を描き分けることができる。短編集を読むと本当に短編ごとに画がぜんぜん違う。ひとつの短編のなかで、話の展開に合わせて絵の描きかたを変えているときもある。

 

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 この「進学天使」ではフリーハンド感のあるちょっとぶれる線と、描き込みの薄いキャラクター、(一部キャラの髪を除き)トーンを使わず、黒のべた塗りか白抜きかの2色で塗り分けている。「この揺れる線が進路に悩む主人公の心情を表現していて~」みたいにてきとうな分析をするのは簡単なんだけど、そういう解釈以前にこれらの絵の作り方がなんとも言えない独特の空気感をお話に与えていて、それをただ味わうだけで充分でしょう。

 

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 背景は描き込んであるところと真っ白なところにきれいに別れていて、台詞を浮かび上がらせたいコマでは背景を書かずに真っ白にしている。久井諒子は天才なので読者の心の中に流れるキャラクターの声の響きまで絵でコントロールしている。

 

 絵以上に圧倒的なのはそのストーリーテリング。主人公には翼が生えていて、「翼人」としての才能を伸ばし適切なメディカルケアも得られるアメリカの高校に進学することを進められている。が、本人は、なんとなく思いを寄せている子がいる日本を離れたくないと思っている。

 

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 男の子ははじめは、女の子の気持ちを尊重して、彼女の日本に残りたいという思いを応援していた。彼女が実際に飛ぶ姿を見るまでは。

 

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 主人公の背中に生えている翼はストレートに才能の暗喩として読むことができる。才能を持つ人間には、ほかの人間には立ち入ることができず、羨ましがられる、けれど孤独な進路が用意されている。そういうシチュエーションにおかれた人ふたりの気持ちのすれ違いを、物語的に丸く収めることもできたと思うが、そうではなく描き切ることを選択して、それに成功している。

 

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 最後に、クラスメイトにせがまれて空を飛ぶ主人公の、空を飛ぶちょっと前のひとコマ。

 

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 空を飛ぶ前にスカートの下にジャージを着る描写。この「進学天使」は非常にタイトに構成されていて、どのコマも全体の構成の上でほとんど動かない。このコマにも時間の経過を表すだけではない重要な意味というか、必然性がある。

 

 まず、漫画的な画の美しさを前面に押しだすなら、ジャージを着させなくてもいい。空を飛んでいてスカートがはためいている、そういう美しい絵を描けばそっちのほうが綺麗なカットになる。それでも、ジャージを着るシーンをしっかりとひとコマを使って描いたのは、このお話が、しっかりと地に足をつけて現実の世界を描いているんですよという宣言だと思う。ファンタジーな設定だけど、リアリティのラインはここに引いていて、ゆずるつもりはない。

 

 久井諒子は本当にすごい。「進学天使」を越える短編がほかに何本もある。個人的には「金なし白祿」がいちばん好きで、いつ見直してもというか見直さずたた思い出すだけでも感動して神妙な表情になってしまう。ので、説教されているときなどに活用している。(僕は蛭子能収とおなじで、怒っている人を見るとちょっと笑ってしまう)

*1:2022年5月追記:公開期間は終わっているようです。