お前は気持ちが悪いぞ

 

 

 自分の人生を振りかえる限り、全員言ったことがあるし言われたこともあるに決まっている、…ので、おたがい様なんだから、あまりみんなで囲んで「キモい」「キモい」と迫るのは上品じゃないぜ、というような結論にひとり至る予定だったんだけど、予想に反する結果が出た。

 

 「キモい」なんて言葉を使う世代ではない、というひとや、思春期以前に行ったり言われたのをカウントしていないひとがいて、ひょっとしたらそれが結果に影響を与えているのかもしれない。でもとりあえずは結果を真に受けて、自分の信念のほうを修正する。

 

 僕はひとにキモがられることをけっこう恐れているタイプで、人と接するときはいまこのひとは僕にどういう印象を抱いているだろう、とつねに緊張している。失敗した日の夜は寝室で長めの反省会をして、脳内報告書を作成している。だれかに好印象を与えたいという攻めの姿勢ではなく、全員に(べつに好かれなくてもいいから)最低限悪い印象は与えたくない、という守りの姿勢をとる。(なので、ブログとかはたぶん書かないほうがいいしツイッターも絶対やめたほうがいいと思われる)

 

 そういう姿勢が身についたのは中学校のころだったと思う。とくに仲がいいわけではないが嫌われているわけでもない(とこちらでは思っていた)友達に、何らかのウザ絡みをしたところ、「お前キモイよ」と冗談ではないトーンで言われて、自業自得ながらショックを受けた。

 

 その当時、僕は友達グループに属してその構成員たちと同調して行動することがあまり好きではなかった。話し相手すらいない、というほどではなかったけど、彼らとつるんでおけば安心、というような居場所はなかった。孤立している人間は悪評に非常に弱い。そのとき僕にキモいと言った同級生はそこまで攻撃的な人間ではなかったので、いますぐの問題はなかったが、もし、僕がキモキャラであるという雰囲気が本格的に流れたら、いじめれられる可能性があったし、そのときに頼れる相手はいなかった。僕の通っていた学校はあまり上品ではなく、被害者や加害者の人生を壊すレベルの思い切ったいじめが横行していた。

 

 一度キモいとされてしまった人間が自分の努力でキモくないと周りに認めさせるのは難しい。頑張って僕はキモくない!とアピールしても、その行動がすでにキモくなってしまうからである。なので、手はさきに打つ必要があった。なるべくこれ以上調子に乗った言動をすることのないように、つねに緊張してわきまえておけるように、国語の授業で使うファイルの表紙裏に「お前は気持ちが悪い」と赤ペンで書いた。国語の授業は毎日あるので、毎日この文字列が目に入り、そのたびに「危ない…。俺は気持ち悪かったんだった。わきまえなきゃ!」と気を引き締め直すことができる。そういう作戦だった。

 

 作戦が成功したおかげなのかどうかはわからないが、僕は(バカにされたりとかはたまにしていたが)本格的ないじめを受けることはなく、無事中学校を卒業することができた。そこから先は、どの社会に属するかを選ぶことができ、多少浮いていても生存に関わる問題はないような場所を無事引き当てることができた。

 

 ただ、この「お前は気持ちが悪い」作戦には、いちどだけ、明確に失敗した回があった。学期末のある日、解答を丸写しするのに使いたいから、と話しかけてきたクラスメイトにそのファイルをそのまま貸してしまった。

 

 そのクラスメイトとその後どうなったのかは覚えていないが、ひょっとしたら彼は僕が彼のことをキモいと思っていると思いこんだかもしれない。仲がいいわけではなかったが、いいやつだった。とても申しわけなく、それが心残りになっている。