朝はカレー

 

 家の近くにあるファミマでは夜になると弁当の一部が半額になる。とくにカレーは高い確率で半額になっている。それを帰り際にピックアップして、そのまま夕ご飯にするのが最近のマイブームだったのだけど、今日*1は、そのマイブームをさらに推し進めて、そのカレーを朝まで持ち越して朝ご飯にしようと考えた。*2

 

 話は変わるけれど、僕はけっこう朝カレーが大好きで、京王線沿線に住んでいたときは朝、よくカレーハウスC&Cのお世話になっていた。単純に僕の習慣の話だけにはとどまらない。朝にカレーを食べるというのは非常に理にかなった行いのように思える。

 

 スパイスの香りは朝のあまり高まってこない食欲をいい感じに高まらせてくれるし、ご飯にかけるだけという手軽さは、外食であったらすぐ出てくるし、内食であってもすぐ作れる、……朝の時間を効率よく使えるということにつながる。あのイチローも、朝はカレーだと決めている、……とどこかで聞いたことがある。

 

 今朝、出社して自分の机でそのカレーを食べていたら、通りがかったすべての人に笑われた。「なんで突然カレーを食べてるの?」「社会人15年目だけどいままで朝カレーを食べたことは一度もない。お前はなんなんだ?」「今日朝のセブンで最初に目に入ったのはカレーだったけど、結局我慢して肉まん買ったからね。カレーは朝のものではないから」とさんざんに言われたのだけど、僕にはイチローが味方についている。イチローが実践していることを笑えるひとはそうそうはいない。「イチローも朝はカレーらしいですよ」と返すことでほとんどの揶揄は黙らせることができて、朝からかなり得意な気分になっていた。

 

 「いや、いま調べたら、イチローもう朝カレー食べてないってよ。2008年でやめたらしい」

 

 ひとの言うことをまずは疑ってかかる習性をもつ先輩が、しっかりと裏どりをしたため、僕の理論は説得力を失ってしまった。結局、「もう二度と朝にカレーは食べません……」とごめんなさいすることになってしまったのだけど、そのあと、てきとうにインターネットを見ていたらこんな記事を見つけた。

 

 いや~、見つけたときは完全に勝ったと思って笑いがこらえきれなかった。菅義偉ですよ、菅義偉! イチローを失ってもおつりが来るわ。しかも14kgの原料にも成功しているというプラスアルファもある。

 

 件の先輩は「でもこれカレーじゃなくてスープカレーじゃん…」と食い下がってきたけど、「でも、スープカレーはカレーですよ」と完全論破することができた。こちらには菅義偉という圧倒的なアドバンテージがあるので、スープカレーとカレーの違いなど、相対的にはささいなことである。

 

 よって無事、朝のカレーは市民権を回復し、「もう二度と朝にカレーは食べません……」といった僕の発言も撤回することができた。朝のカレーはほんとうに好きなので、これからも食べていきたいと思います。

*1:記事を書く日と公開する日には通常タイムラグがあるので、本当は今日ではないのだが。

*2:こうすると消費期限が切れてしまうが、まあ、僕は毒には強いタイプなので大丈夫でしょう。

ハイライトで見た試合 2

 

 本当はぜんぶ観たいんだけど、世のなかにはできることとできないことがある。……神様はできることとできないことを見分ける力を(そしていざというときにはすべてをあきらめて仕事を辞める決断力も)僕に与えてくれたので、とりあえずいまはハイライトを見て、この美しいサッカーの完璧な全体像がどうだっただろうかと想像を巡らせるのみである。

 

マンチェスター・シティvsリヴァプール

 イングランドの優勝候補、……ひとたび波に乗れば何連勝もできて、たまに負けてもそのあとまた何連勝もできるような非常に強い両チームがまみえた天王山だ。……と思いきや、過密日程のためかこれまではどちらも思ったほど勝ち点を稼げておらず、どちらも中堅チーム相手に印象的な大敗まで喫してしまっている。

 今回もなかなか固い試合となったらしい。個人的には(困り眉がキュートで、シュートを決めたあともシュートを外したみたいな表情になっちゃいがちな)ガブリエウ・ジェズス選手を応援しているので、得点のシーンのトラップにはしびれましたわ。

 

TSCバチュカ・トポラvsFCSB

 サッカーのひと試合が後世まで語られる名勝負となるためにはどんな条件が必要だろうか。実力に差があるチームどうしの思わぬ拮抗した戦い? 主力選手の(できれば複数名)欠場? 試合途中の(できれば複数枚の)レッドカード? アクシデントによる試合途中の主力選手の交代? たくさん入るゴール? シーソーゲーム? 試合終了間際の、運命を決めるゴール?

 

ピザの入ったハンバーグをピザで挟むというカオスな食べ物「PIZZA INSIDE A BURGER INSIDE A PIZZA」 - GIGAZINE
 ……いまあげたような要素を重視するのであれば完璧な名試合がヨーロッパリーグの予選で行われたという。ブルガリアの名門FCSBとセルビアの決して強豪ではないチームTSCバチュカ・トポラの試合は、確かにぜんぶ乗せの、こんな感じのすごい試合だったみたいだ。

 

FC岐阜vsカターレ富山

 むかし札幌に在籍し、インターネットではさんざん「スペランカー*1と揶揄されていたがいざ試合を見ると、そのポテンシャルに感動してしまう、パウロン選手というディフェンダーがいて、そのパウロン選手が岐阜に加入するというので気になってちょっと直近の岐阜さんの試合を見てみた。

 ハイライトしか見ないと、これはこれでいろいろな試合を興味本位で見れて良いものですね。岐阜はあいかわらずベテランの名がならぶいぶし銀のチームだった。頑張れパウロン!

*1:怪我が多くてぜんぜん試合に出てくれない選手をこう呼ぶ慣習がある。

「どこの帰りなの?」


「どこの帰りなの?」
「朗読会ですよ」

 

家に残っていた昨日の僕と
帰宅後すぐに話さなきゃいけないのは最悪だ

 

どうにか頭を切り替えないとと思い
鳴り続けていたカエルの警報器を止めて
満腹になったEQNhOの中から洗濯機を取りだす

 

そこから洗濯物を取りだすのに
さらに何時間もかかる

 

「生きているうちは忙しいね」
「だけど時間がありますよ」

 

お願い口答えをしないで昨日の僕
明日も明後日もおなじ答えをするしかない
本当に疑問に思っているのは
昨日の僕お前だけなのだから

 

詩は数世紀をかけて衰退の一途をたどり僕らにいたる
見送るバスはやさしく偽られた後方表示灯だけを残して海の向こうへ消え
手違いで送られてきた花は笑窪などの小さなへこみを見つけて生活に根づいた

 

そして
寝室の隅っこでは
僕の息子でもある人生が
家庭用トランポリンの上を
長いあいだゆっくりと数を数えながら跳ねていた

最近ポイントが高かったWikipediaページ 2

 

 休日何もせず、深夜までWikipediaをずっと見ていることがあり、そうすると頭がぼわーっとなって、今にも寝ちゃいそうなんだけど脳の芯の部分が興奮していて眠れない、そんな意識の拡張状態になるのだけれど、それを個人的には「ウィキペディア・ハイ」と呼んでいる。

 

ルグズナム (lugduname) は、人間が甘味を感じる物質として最も作用の強い物質である。ラグドゥネームとも呼ばれる。その甘味は計算上、同量の砂糖と比較して約22万倍から30万倍に達する(サッカリンで200–700倍・アスパルテームでは200倍程度)。

毒性について詳細は不明である。

ラグドゥネーム - 710pt!

(塩化ベリリウムや酢酸鉛、クロロホルムなど、甘くて毒がある物質はけっこうあるらしい)

 

アイスランドガイは非常に長生きな事で知られている種である。最も長い記録は8.6cmの個体で507歳というものがあり、これは動物の中では最も長生きした個体ではないかと考えられている。この個体は、中国の王朝の1つに因み「明」と名付けられている。

一部の報道では「年齢調査のために貝を開かれたために殺された。」あるいは「年齢を調べる際に誤って貝を開いてしまったために死んでしまった。」という主旨の報道がなされ、研究者達には批判のメールが多数寄せられた。しかし、これは事実と反する部分がある。英国放送協会はこの件について、ウォーターゲート事件をもじって「クラムゲート (Clam-gate) 事件」という見出しを付けている。

この大きさの個体は市場では珍しくない大きさであり、見かけも高齢さをアピールする要素は全くない地味なものであるため、高齢であるだけの理由で保護されない限り、例え最大だろうと最高齢だろうとおかまいなく捕獲されクラムチャウダーに放り込まれるであろう

アイスランドガイ - 1580pt!

(エピソードに皮肉が効いていてたまらない)

 

東京台場には、パリの自由の女神像が、日本におけるフランス年事業の一環として1998年4月29日から1999年5月9日まで設置されていた。この事業に関しては、1998年4月28日に点火式が行われ、フランスのジャック・シラク大統領、橋本龍太郎首相(当時)などが参加した。

東京都北区赤羽のサウナの屋上に設置されている。

岐阜県美濃市片知にある居酒屋の敷地内に設置されている。

北海道函館市元町の二十間坂にある水産業者・マルキタ北村水産元町店が、2010年6月6日に突然店頭に設置した像。(…)景観と自由の女神像が調和していないとして、住民が撤去を要求したほか、市に地元町会などから6件の撤去や是正を求める要望書が提出された。 函館市が撤去を指導し、2010年8月19日に一旦撤去されたが、2011年2月28日に再び設置された。マルキタ北村水産側は、再設置について「理由やいつまで置くかは話せない」とし、コメントを拒否した 。2016年6月20日、撤去した。

自由の女神像 - 320pt!

(日本にあるレプリカが淡泊に列挙されているのが良い)

文学的なゲームとゲームレビュー~読むものが無限にある 3~

 

 僕はゲームをほとんどしないタイプの人間で(ゲームをプレイするのに必要な問題解決能力やタスク実行能力がないのである)、Google Chromeの恐竜ジャンプゲームくらいしか最近はやってないのだけど、ゲームについて書かれた文章を読むのはけっこう好きである。

 ゲームについて書かれているというだけでけっこう好きだが、文章そのものが面白かったらさらに好きになる。

 

 AUTOMATONというゲームを扱った硬派なネットメディアがあり、そこに掲載されているSyohei Fujitaさんのゲームレビューやコラムが面白くて、夢中になってずっと読んでいた。

 

本作を端的に表せば、制御のアートだ。魅力的だが野放図な数学的膨大さはゲームシステムによって制御され、美しいが無秩序なグラフィックは現実世界でも通用する論理に基づいたインタラクションで制御される。

 Syohei Fujitaさんのゲームレビューやコラムが取りあげるのは、作家性だったり明確な芸術的コンセプトがあるようなゲームで、まずそういった創造的なゲームがこの世の中にあることやそのコンセプトが整理された明晰な文章で紹介されている、ということが非常に、消費し切れないコンテンツがあふれている時代に生きていて、かつゲームを実際にプレイする素養がない人間として非常に助かる。

 

信頼できない語り手、メタフィクショナリティ、作者の死といったテーマや技法を応用し、たぐいまれな作品を作り上げたDavey Wredenに最大級の賛辞を送る。これは今日において、もっとも優れた語りの構造をもつビデオゲームである。

 たんに紹介されているゲームが面白いだけではなく、紹介する書き手にもそれに負けない力がある。おそらく人文学全般、……とくに文学に対するアカデミックなバックグラウンドがあり、そういったジャンルで蓄積されているおなじみの概念を使って、ゲームのもつ創意を説得力のある仕方で分析して教えてくれる。

 

 いい感じに衒学的なのもうれしい。知識のひけらかしは最近はいろいろなところで嫌われていて衰退気味だけど、知識のひけらかしにもよいひけらかしと悪いひけらかしがあって、よいひけらかしは僕みたいな知識が好きなタイプの人間にとっては非常に好ましく映るんですよね。

 

私はおそるおそるゲームを立ち上げ、顔のまわりを飛び回る蠅の羽音を気にしないように努めながら、もういちど自動車を組み立てはじめた。三時間後、筆者はエンジンをかけ、車に乗り込んだが、車は動かなかった。それから筆者は自宅に備えつけられたフィンランド式サウナに入り、炉に大量の薪をくべて火を起こしたあと、そこから二度と出なかった。

 知的なだけではなく、ユーモアにあふれるゲームにはユーモアにあふれる文章を当てている。分析的に読むだけではなく、楽しんで、筆者の手のひらの上で浸りながらリラックスして読むことができますね。

 とくにこのフィンランドの田舎で車を組み立てるゲームのレビューはほんとうに面白い。

 

 ゲームの良さを紹介しつつ、そのフォーマットのなかで、文章としてのそれ自体の達成や卓越を目指しているような、ソウルフルで野心深い文章も多く目につく。ゲーム内でのバグと現実世界での天才を並べて記述し、2016年の3月11日に公開されたこのコラムはそのよい例でしょう。

 

5歳の誕生日に『ポケットモンスター』の『緑』を買ってもらった時から、ビデオゲームは私と共にありました。煎じ詰めればじつに単純なインタラクティビティと光の明滅に、なぜ我々はここまで驚喜することができるのか?この興味深い問いを少しずつ解き明かしていくつもりです。……もちろん普通のレビューも書きます。なんにせよ、すべてのコンテンツは受け手が自分の人生を忘れるために作られますが、驚くべき豊かな未来において、ビデオゲームはその目的を完全に達成すると思います。

 AUTOMATONでのプロフィール文章はこのとおり。……端正な文章だ。こういった文章を読みたかったり、癖とコンセプトのあるゲームを多少知ってみたかったら、読んでみて損はないでしょう。

最近ポイントが高かったWikipediaページ

 

 単純に記事の質やこれまで知らなかった内容かどうか、だけではなく、このひとつのことについて知ることによって、「なるほど世界にはこんな側面があったのか」となんだか切り開かれるような感じがすればするほど、高いポイントを得られる、というのが、僕がひとりでやっているWikipediaポイント制度である。

 

宮窪手話(みやくぼしゅわ)は、愛媛県今治市宮窪町宮窪地区(旧・越智郡宮窪町大字宮窪)で用いられている手話言語。日本のろう者コミュニティで広く使われる日本手話とは文法・語彙体系を異にしており、地域内で独自に発達した村落手話(地域共有手話)の一種に数えられる。

宮窪手話は、2種類のタイムライン(時間を表す空間的表現)を併用する独自の時間表現を有している。

宮窪手話 - 1440pt!

(文句なしに面白い)

 

エヴァンスは妻と子供を殺害した容疑で裁判にかけられ、絞首刑にされていた。しかし、スヴァートヴィック教授がエバンスの供述内容を研究した際、彼はその内容に異なる様式的な言語マーカーがあることを発見した。

これはつまり、実際には裁判で述べられたような供述をエバンスが警察に対して行っていなかったことを示す。この事件を契機にイギリスでは、初期の法言語学者たちによって、主に警察の尋問の有効性についての研究が進んだ。

当時、数多くの有名な事件で見られたように、主要な懸念は警察官による供述調書に関するものであった。取り調べにおける供述を書き起こす際、警察官によって使用される言語スタイルと語彙については、その後幾度となく問題として挙げられることとなった。

言語学 - 520pt!

ローカライズの質は低いけど内容にはとても引き込まれた)

 

日本の調査捕鯨船の乗組員が目撃したとされている、全身が真っ白で全長数十メートルの生命体。写真撮影しても氷山のようにしか見えないが、画像を拡大するとニンゲンの表皮はつるつるしていて割りと不定形であり人工物ではないようだという。

学習研究社の雑誌『ムー』では、フライング・ヒューマノイド、海坊主と関連付けられ、同一の存在ではないかという推測を立てている。『ムー』2007年11月号にはGoogle Earthにニンゲンが写りこんでいるという記事がある。

南極のニンゲン - 30pt!

(ビジュアルが良かった)

 

バラスト水(英語: Ballast Water)とは、船舶のバラスト(ballast:脚荷、底荷、船底に積む重し)として用いられる水のこと。 貨物船が空荷で出港するとき、港の海水が積み込まれ、貨物を積載する港で船外へ排出される。

日本は、推定1700万トンのバラスト水が海外から持ち込まれ、逆に3億トンのバラスト水を海外に排出している。

積み込む港と排出する港が異なるため、バラスト水に含まれる水生生物が多国間を行き来し、地球規模で生態系が撹乱されるなどの問題が生じている。

バラスト水 - 740pt!

(そんなにバラスト水貿易赤字*1があるのはなんでなんだろう。生態系の問題も含めて、東大二次試験の地理とかに出てきたら面白そう)

*1:考えかたによっては黒字といえるのかもしれない。

ジェニファー・ベル『ゴーイング・ダウン』

 

 毎月8日恒例の、アマゾンで1円で買える面白い本の紹介をしていきましょう。今回取り上げるのはジェニファー・ベルさんの書いた『ゴーイング・ダウン』という小説。ニューヨークでちょっと踏み外し気味の生活を送る大学生が、コールガールとして働くお話だ。

 

スケートははじめてだった。みんなであたしを支えてリンクの真ん中まで連れていってくれた。真ん中には、真っ赤なハートが描いてあった。あたしはハートのなかに座り込んで笑っていた。これがしあわせっていうものなんだわ、と考えていた。そうよ、これよ。

ゴーイング・ダウン
 

 

 フィクション的な部分とリアルな部分の振り替わりが非常に特徴的な小説だと思いました。起きる物語はご都合主義的というか、……基本的にはマゾヒスティックな小説なのでふつうの言葉どおりの意味ではご都合主義的ではないのだけど、逆にご都合主義的というか、上手いぐあいに進んでいく。

 

 ……その一方で、その物語に直面する主人公やその周囲の人たちが、起きた出来事に対して反応する仕方だったり、主人公の一人称の語りだったりはとてもリアル。文体はとてもシンプルで、必要最小限の情報を伝えていく…、という感じなのだけど、そのコンパクトさがリアルを伝えるうえでとても効果的に使われている。

 リアルにいじわるに書かれているので、主人公に共感できるタイプの人間にとってはちょっと読むのが辛いのではないかと思うし、そうでないタイプの人間にとっても愉快な読書ではないでしょう。

 

ビビアンが泣きだした。
「何のまねよ?」
「妊娠テスト・セット、買わなきゃならないんだ。ねえ、一生のお願い」
そうそう、ミリーズで、あたしはいっつもみんなに妊娠テストを買ってやってたっけ。

 物語全体にも抑揚があって読みやすい。全体的に映像を念頭に置いて作られている感じがあって、「初めてのお客と最後のお客」の下りとか、全体のクライマックスの部分にアダムというボーイフレンドの話が来るところとか、きれいにまとまっているなと思う。

 こういう、自分の作家としてのスペシャリティがある部分でだけ、なんども勝負を繰り返し、スペシャリティがない部分はきれいに作り込んでくるのはめちゃくちゃやり手だなと思った。そういう部分では、粗削りさからなるリアルさを売りにする、よくあるタイプの若者文学とは違ったところなのかもしれない。

 

娼婦だったのがずっと昔のことみたい。ニューヨークに戻ったら、どこかの会社の臨時職員に雇ってもらおう。あたしはアダムと恋におちた、ぜったいこの恋を守る、と思ったとき、風の音が世界全体を引き連れてきた。

 どこでもそういうふうに書くわけではないけれど、たまに狙いすましたように出てくるポエムな文章も(だいたいぜんぶ大局的には皮肉なのだが)良い。終盤に出てくる、シンデレラの話を念頭に置いた摘発の文章は切なかった。

 警察が仕事場にやってくるから急いで逃げるんだけど、そのとき仕事で使うハイヒールを落としてしまう。そのとき、「あの靴にぴったり合う足をもつ人を探しに来てくれるのだろうか」みたいなことを思う場面があるのだけど、このあたりはものすごく意味的に豊かな書きかたがされていて、すごいなと思った。