ジェニファー・ベル『ゴーイング・ダウン』

 

 毎月8日恒例の、アマゾンで1円で買える面白い本の紹介をしていきましょう。今回取り上げるのはジェニファー・ベルさんの書いた『ゴーイング・ダウン』という小説。ニューヨークでちょっと踏み外し気味の生活を送る大学生が、コールガールとして働くお話だ。

 

スケートははじめてだった。みんなであたしを支えてリンクの真ん中まで連れていってくれた。真ん中には、真っ赤なハートが描いてあった。あたしはハートのなかに座り込んで笑っていた。これがしあわせっていうものなんだわ、と考えていた。そうよ、これよ。

ゴーイング・ダウン
 

 

 フィクション的な部分とリアルな部分の振り替わりが非常に特徴的な小説だと思いました。起きる物語はご都合主義的というか、……基本的にはマゾヒスティックな小説なのでふつうの言葉どおりの意味ではご都合主義的ではないのだけど、逆にご都合主義的というか、上手いぐあいに進んでいく。

 

 ……その一方で、その物語に直面する主人公やその周囲の人たちが、起きた出来事に対して反応する仕方だったり、主人公の一人称の語りだったりはとてもリアル。文体はとてもシンプルで、必要最小限の情報を伝えていく…、という感じなのだけど、そのコンパクトさがリアルを伝えるうえでとても効果的に使われている。

 リアルにいじわるに書かれているので、主人公に共感できるタイプの人間にとってはちょっと読むのが辛いのではないかと思うし、そうでないタイプの人間にとっても愉快な読書ではないでしょう。

 

ビビアンが泣きだした。
「何のまねよ?」
「妊娠テスト・セット、買わなきゃならないんだ。ねえ、一生のお願い」
そうそう、ミリーズで、あたしはいっつもみんなに妊娠テストを買ってやってたっけ。

 物語全体にも抑揚があって読みやすい。全体的に映像を念頭に置いて作られている感じがあって、「初めてのお客と最後のお客」の下りとか、全体のクライマックスの部分にアダムというボーイフレンドの話が来るところとか、きれいにまとまっているなと思う。

 こういう、自分の作家としてのスペシャリティがある部分でだけ、なんども勝負を繰り返し、スペシャリティがない部分はきれいに作り込んでくるのはめちゃくちゃやり手だなと思った。そういう部分では、粗削りさからなるリアルさを売りにする、よくあるタイプの若者文学とは違ったところなのかもしれない。

 

娼婦だったのがずっと昔のことみたい。ニューヨークに戻ったら、どこかの会社の臨時職員に雇ってもらおう。あたしはアダムと恋におちた、ぜったいこの恋を守る、と思ったとき、風の音が世界全体を引き連れてきた。

 どこでもそういうふうに書くわけではないけれど、たまに狙いすましたように出てくるポエムな文章も(だいたいぜんぶ大局的には皮肉なのだが)良い。終盤に出てくる、シンデレラの話を念頭に置いた摘発の文章は切なかった。

 警察が仕事場にやってくるから急いで逃げるんだけど、そのとき仕事で使うハイヒールを落としてしまう。そのとき、「あの靴にぴったり合う足をもつ人を探しに来てくれるのだろうか」みたいなことを思う場面があるのだけど、このあたりはものすごく意味的に豊かな書きかたがされていて、すごいなと思った。