「しかし、あなたはこのチームの試合をごらんになったことがありますか?」
「いいえ。でも、スコアは新聞で見ています。あなたのお苦しみはわかります」
「ビリー、スコアなど、試合そのものにくらべれば何でもないのです」
せっかく『素晴らしいアメリカ野球』――じつはかなり格の高い名作小説なんです――を読んだのだから、ブログの回1個くらいこれで埋めなきゃな、というもったいないマインドはあるんですが、にしても実際これについてブログを書くかどうかはかなり迷った。
字面を追って内容を理解していくのがとても難しい小説*1で、実際、読み終わったいま「30%くらいは理解したかな~?😎」くらいの気持ちしかない。
なんとか追えた話の筋は、「第二次世界大戦に多くの人員を取られてしまい、結果癖のある二流三流の選手が集まるドタバタ集団になってしまった、あとなんかついでにホームグラウンドも失って毎回アウェー戦をすることになった球団・マンディーズを中心に、アメリカの架空の野球リーグ『愛国リーグ』をとりまくいろいろなドタバタエピソードを披露。……しかしその背後には国家レベルの陰謀があった」といった感じ。
30%くらいでなにを言うか、という感じなので、まだ読んでないひとはあんまり気にしないでください。ただ、まあ、『素晴らしいアメリカ野球』を読み返して(そのときは70%くらいは理解して)、そのうえでこの文章を読み返しているであろう将来の自分のために書いておくと、いまの時点での僕の感想としては「木や木々の部分が面白いというのはわかるが、森の部分にそんなに大きな感動はなかった」という感じである。
森弱くないですかこれ? 文化的バックグラウンドが違うからか、この小説がなにか普遍的なテーマで束ねられているという感じをまったく受けなかった。連なっているおもしろエピソードをたくさん読んだ、全体としてもカオスの中壮大にまとまった、それ以上の作品としての美点がわからない。
ひとつ予言させてもらおう。一九四六年、愛国リーグの抹殺とともに始まった何ものかは、それで終わることなく、やがてこの地球そのものがトライ=シティ・タイクーンズ球団やトライ=シティ・グリーンバックス球団、カクーラ・リーパーズ球団、テラ・インコグニタ・ラスラーズ球団、アサイラム・キーパーズ球団、アケルダマ・ブッチャーズ球団、ルパート・マンディーズ球団、そして私と同じ運命をたどるだろう。やがて、あなたがたの一人ひとり、すべてがマッコウ鯨や偉大なルーク・ゴファノンのように、あとかたもなく消え失せるだろう!
これから『素晴らしいアメリカ野球』を読む人へ:
プロローグを読んでいると「こんなの読めるわけないだろ」と絶望すると思うのですが、なんとか100ページ耐えて*2ください。適宜、この作品は読む価値を認められてきた名作だということを思い出しながら、なんとか読み進めてください。1章もしんどいと思うけど、多少面白くはなります。で、2章に入ると(章の形式のなせる業で)格段に読みやすくなる*3ので、そこまでいけば何とか、「最後まで読もうかな」*4という気になってくるかと思います。野球が好きかどうかは読みやすく読めるかどうかとまったく関係ないです。