ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』

 

 観念は事物にまさり、観念についての観念は観念にまさる。その言い方に従えば、模造品は模造される物にまさる。なぜならそれは、模倣されるものプラス模倣する努力だから。努力のうちには複製をつくる道を開くということが含まれている。それによって次から次へと模造品が生み出される。

 おれが家具や美術品を選ぶ時、本物より模造品を好むのはそういうわけだ。

 

メテオール(気象)|国書刊行会

 ミシェル・トゥルニエさんという人が書いて、日本では国書刊行会の「文学の冒険」シリーズに収められている『メテオール(気象)』という小説を読みました。

 福祉施設と織物工場を抱くパリ郊外の土地「ピエール・ソナント」に生まれ、双子の片割れジャンになみなみならぬ一体感を抱いている子供ポールと、そのおじでごみ焼却業を営みながら同性愛の日々を過ごすはぐれ狼アレクサンドルを主人公にした長編小説。*1

 

 規範的な異性愛者たちとは違った性質を持つふたりの主人公の見る世界、考え方、独特のロジックからなる行動を描きつつ、関連する人々のエピソードも差し挿まれ、背後では第二次世界大戦からベルリンの壁建設までの世界史の動きがうねっている、……といった感じの、ポストモダニズムの小説っぽい建付けとなっている。

 

引き潮に裸にされたものが、海を恋しがって泣いている。

 面白かったか?と聞かれると、逆に作者に「これ面白いですか?」と聞いてみたいような、そして「面白い」と答えられたら「そうですか」とすべて受け入れるしかないような小説、……という印象でしたね。

 僕が悪いとすれば、この小説、双子どうしの愛や同性愛の視点から、パンピー異性愛とそれに基づく社会にたいして観念的な思索を巡らせるようなところがあり、僕はその部分を「まあ飾りだろう」と思い、あんまり深くは突っ込まないで読んでいたのですが、多少真に受けたほうが良かったっぽいな、と読み終わってちょっと思いました。

 

 まあとはいえ、個々のエピソードや筆の回りなどは十分に素晴らしく、読んでいてミクロで退屈することはなかった*2。もうすこし、小説の持つ批評的な側面を大事にする読者であれば、僕のこの感想を「なにもわかってないな~」と思うんだと思います。作品の品格もけっこうあるし、タイトルも非常にかっこいいので、これを人生の読了リストに加えるためだけであっても十分に読む価値のある本と言えるでしょう。

 気になった人は読んでみてね。(そしてどこが面白かったか教えてほしい)

 

ラカントが馬車置き場の踏み板の上にぼくを押し倒して教えてくれたことは人生への愛、そして人生とは、田舎の大戸棚のように、アイロンのかかった真っ白なシーツがラベンダーの袋で香りをつけられて、きちんと納まっているような場所ではなく、汚いぼろ蒲団の堆積であって、そこで男や女が生まれ、戯れ、眠り、苦しみ、そして死んでいく場所なのだ、それでいいのだ、ということだった。

*1:ちなみに本の裏側にはあらすじが書いてあるが、けっこう「?」となるようなもので、「最後のほうだけ読んで書いた?」と思ってしまった。まあその部分がいちばんキャッチーだし、そもそもあらすじを読んで読むか読まないか決めるような風体の小説ではないのでいいっちゃいいと思いますが。

*2:面白いかどうかわからなかったと言ったのは、退屈しない以上の何かがあるのかどうかがわからなかったという意味である。ふつうの言葉づかいで言えば、この作品は非常に面白い。