ただひとつ面白かったということはわかったが…~アンナ・バーンズ『ミルクマン』~

 

サムバディ・マクサムバディが私の胸に銃口を押し当てながら私を猫呼ばわりし、殺してやると脅したのは、ミルクマンが死んだのと同じ日だった。ミルクマンは国の狙撃隊に射殺された。私にとってはどうでもいいことだったけど、一大事と考える者もいた。そのうちの何人かは、地元の言い方にならえば、「私と顔見知りだけどぜったいに口をきかない」人たちだった。私のことは噂になっていた。

 という書き出しで始まる、『ミルクマン』という小説を読んでいた。これが衝撃の小説だったのでちょっとだけ紹介させてください。読んで、面白かったのだけど、正直それ以上のことは何もわからなかった。

 

 主人公はある日、地元で話題のやばい男(でも有力者でもある)「ミルクマン」に付きまとわれ始める。ただ舞台は因習あふれる田舎で、いつのまにかコミュニティでは、主人公はミルクマンと付き合っているということにされてしまう。

 遠回しかつ着実なミルクマンの接近と、コミュニティからの有形無形のプレッシャー、このふたつの攻撃に苦しむ主人公が、ミルクマンの突然の死によって解放されるまでを描く、……といったお話である。

 

 ただいま述べたような「あらすじ」は、この小説の本当に必要最低限の骨組みで、小説のメインは、主人公の目を通してみたその「コミュニティ」とそこで生きる人々のありさまである。

 ……その「ありさま」がなんなのかというと、これが要約して言うのがかなり難しいんですよね。リアルの問題を描いたものでもあるし、同時にめちゃくちゃ想像力豊かなフィクションでもある。「わかるわ~」と共感できることも多いが、なにこの話?この小説で初めて読んだんだが?みたいになることも多々。緻密に計算されているようにも見えるし、プログラムがランダムに事物を組み合わせているだけにも見える。

 

 その「ありさま」が、とても面白かったです。ただひとつ面白かったということはわかったが…、残りは謎。

 

 読書体験としてもけっこう独特で、読みはじめると最初の10ページくらいで、「この本めちゃくちゃ面白いな」とすぐにわかると思うのですが、そこから最後まで読み進めるのはかなり難しい。

 主人公の饒舌な語りをベースにした文体になっていて、出来事やエピソードの記述やキャラの人となりの描写がなかなか持って回ったものになっていたり、連想される過去のエピソードにとびとびに話題が移っていくので時系列や相関図が把握しにくかったり、あと主人公の語りも完全に信用できるものではないのでその辺も考えながら読む必要がある、……というのが読みにくさのひとつの要因である。

 

 内容面にも読みにくさがあって、面白い小説なんだけど、……この話、読んでいるとかなり不快になるんですよね。エログロナンセンス的な不快さではないんですが、なんだろう、本当に嫌いな人と一緒にいるけど表面上穏やかにしていないといけないとき、みたいな不快さである。

 全編を通してストーリーはほとんど進まず、「先が読めてうれしい」の快楽にも乏しい本なので、途中本当に嫌になって読むのをやめる人もけっこういるのではないかと思う。

 

 あと、特権的「語り手の立場」からやいやい叙述している主人公も、結局は自分が叙述しているこのどうしようもないコミュニティのほかの登場人物と同じくらい、ひとつの考えに凝り固まっていて他人をいらいらさせる不快な人間のひとりなのではないか、と(読者に)思いを至らせるような描写もけっこうあって*1、信頼できるかどうかわからない語りとして多くの文章を読まないといけない、というのも可読性をかなり下げている。

 

ミルクマン :アンナ・バーンズ,栩木 玲子|河出書房新社

 とはいえ内容と形式の両面にわたる異次元の独自性と、シンプルに読み物としての面白さを併せもつ、非常におすすめの小説です。ふだん小説を読みなれていないと、ちょっとしんどいかもですが、逆に読みなれている人はだいたい読んだほうがいい。

 

 もし、読みたい人で北アイルランドの現代史についてまったく何も知らないという人がいれば、すこし検索してから読んだほうがいいかもしれません。一応この小説の舞台は北アイルランドでもなんでもなく、マストで必要な知識ではないのですが、あったらちょっと序盤の読書の見通しが立てやすくなると思います。

*1:誰かと深く会話するときなど、主人公と会話相手は、どっちもどっちじゃないか?となるときもけっこうあるのである。