席替えで君は死者の隣に


 夏休みに死んだ叶人と席替えで隣の席になった翌日の夜から、僕は叶人のいる夢を見るようになった。最初は恐ろしかった。海の底に消えていったはずの叶人が、「おはよう」となんでもなかったように挨拶してくるんだから。しかも僕は叶人とは友達じゃなかった。

 夏休みが明けた最初の日、窓を真っ黒なフィルムで覆い、クラスみんなで電気を消してろうそくをつけて叶人へのお別れ会をやったところまではまだみんな道を外してはいなかった。その次の日に、先生が「いなくなったお友達も含めて、いっしょに席替えをしましょう」だなんて言ったのが間違いで、そのとき僕は泣いたり暴れたりしてどうにかしてでもこの悪い流れを断ち切るべきだったんだと思う。けど僕はもう小学校4年生で泣いたり暴れたりするような年ではなかった。男子も女子も何名かが泣いて拍手をしてその案に賛成をした。気味の悪さは悪いくじを引いた誰かに押し付けるつもりだったんだ。僕は心の中で強く反対したけれどおなじ気持ちだった人はほかにも何名かいたんじゃないかと思う。植物委員の立花壮図、お楽しみ係の梓川嘉納あたりはそうだったんじゃないだろうか。ふたりとも、授業中にはおしゃべりをしているし、真面目にしているときよりふざけている時間のほうが多いけど、物事の良しあしを見極める目はほかの人とは違ってしっかり持っていると思う。とくに嘉納は自分の計画したお楽しみ会が叶人へのあんなお別れ会で中止になってしまって、やるせなさと憤りでいっぱいだったんじゃないだろうか。真っ暗な部屋で先生が「ありがとうのうた」を唱えている間隣のクラスからは笑い声とお菓子を分け合う音が聞こえてきていた。先生は人聞きの悪い宗教にハマっているというのは親も生徒もみんなが言っていることだった。「1年間我慢すれば済むことじゃない」と親は言った。みんながそんな感じだから、先生は学校を辞めさせられることもなく、来年もまたあたらしい4年生のうちの不運な5分の1クラスを担当することになるのだろう。

 死人には、そして夢のなかであれば何を言ってもいいだろうと思った。死は「なくなる」ことで、夢のなかっていうのはつまりは現実ではないということだ。お前が死んでから、クラスはめちゃくちゃだよ。叶人はよくわかっていない様子で首を傾けて、「そんなことよりさ。チェスしね?」と言った。1学期の間はクラスに持ち込んでもOKだった将棋が流行っていて、2学期はチェスだった。……いや、チェスにしようと叶人が決めたのだ。クラスの中で何が流行りの遊びなのか、決めて実行するのはいつも叶人だった。「将棋なんてよく考えてみればダサいぜ、漢字が書かれているんだから。チェスはかっこいいぜ。白と黒なんだから」叶人が言うことは僕らのクラスに響き渡り、最初の一瞬だけうさん臭く聞こえたが、すぐにあまねく受け入れられる真実になった。叶人に言われるまで、僕らはこんな簡単なことに気づいていなかったってことにさせられるのだ。

 僕は覚えたてのルールでポーンをふたつ前に動かし、叶人も反対側のおなじ場所の駒をそうした。駒の色の白と黒だけが違っていた。キングを取れば叶人の命も取ったことになって、こんなバカげた夢は終わるんじゃないかと思った。けど、そんなことはなく、叶人は自分の形勢が悪くなり、もはや僕相手に挽回不能になるといさぎよく頭を下げて投了してしまうのだ。白のナイトは、クイーンは、いつもすんでのところで黒いキングにとどめの刃を突き立てる機会を奪われる。あるいは、黒のルークやビショップが白のキングを獲り逃す。2回ほど対局をしたら、ちょうど45分が経ってお昼休みが終わる。夢はいつも、学校の門をくぐった瞬間から始まり、下校のチャイムが鳴った瞬間に終わる。僕は朝7時に起きて現実の学校に丸一日通ったあと、夢でもおなじ一日を過ごすのだ。違いは叶人がいるかいないかだけで、時間割も授業の進みかたも日直順もたまたま休みのクラスメイトも、なにもかもが現実と同じ夢だった。これがどれほど疲れることか、わかってくれない人はいないんじゃないかと思う。ふつうの人の二倍の一日を生きているのと同じだ。けどそのかわり、授業の理解度は良くなった。一日に二回も同じ授業を受けるのだから。僕は頭も悪いほうじゃなかった。授業なんて1回聞けばだいたいのことは理解できた。それを表と裏のように立て続けに2回繰り返すのだ。もともと上のほうだった成績は、叶人が死んでからはさらに上がって、ほとんどのテストで100点を取るようになり、うちの両親は喜んだ。

 「はあ、本当にお前意味わかんないって。頭良すぎな? なに言ってるかわかんねえよ」お前はもう死んでるんだから、僕の夢に出てくるなよとどれだけ伝えても、叶人はその事実を認めようとしなかった。あまりにも認めないので、叶人は自分が死んだことをわかっていないか、信じ切れていないのではないかと思った。なので僕は叶人の死んだときの話をすることにした。お前はやんちゃで、クラスでは人望があって、自分にできないことは何もない、つねにみんなの注目を集めるようなことをするのが自分の使命だって思い込んでいるやつだ。だから、夏休みに海岸で古びたカヌーを見つけて、それに乗り込んで漕いでみるなんてことをしたんだ。まわりには男子女子含めて6人ほどいて(もちろん僕はそこにはいない)、その全員がお前がいくら大丈夫だって言ってもそのカヌーに相乗りするような馬鹿な真似はしなかった。最初はお前はカヌーをうまく操縦していた。岸から遠く離れて、岸に残った友達におーいと笑いながら声をかけた。お前は注目を集めた。きっと岸に残った6人が馬鹿で臆病に見えただろう。取り巻いているだけが頼みの、価値の低い人間だと心のどこかで思ったんだろう。ちがうんだよ。そもそもそこにいっしょにいなかったほかの29名のクラスメイトほどじゃないけど、あの6人は賢明で、馬鹿はお前なんだ。カヌーは離岸流につかまった。お前も岸の6人も最初はふざけて笑いながら驚いていたけれど、しばらくしておたがいが点で見えるだけの大きさになって、岸の6名は救助を呼び、お前は手に豆を作りながら流れに逆らって懸命にオールを漕いだ。あるいは泣いれあきらめて流されるまま漕がなかった。そのうち、船底の割れ目(それがあるからカヌーはあんな場所に放置されていたんだ)からしみだしていた水がどんどん大きくなっていって、海上保安庁も捜索したけどお前はその前に息ができなくなって死んだんだ。

 「そういう夢なら見たことあるよ。あれはマジでビビったね。あれね、起きたときにもマジで数秒間息ができなかった。お前もある?」叶人があまりにも自分の死を認めないので、おかしいのは僕じゃないかと思うようにもなってきていた。昼の学校で、額に収まった写真だけが置かれた隣の席を横目で見ながら、すこし広くスペースを使って教科書を広げ、本当に死んでいるのは僕なのではないかと考える。ありえないことではなさそうだった。そして夜にも同じ授業を叶人と並んで受ける。一度聞いたことなので、先生の話は全部聞かなくても大丈夫だ。手が空いた頭で、僕は考える。こちらのほうが現実である可能性もあるんじゃないかと。そしてこうも考える。こっちが現実だとして、なにか不都合があるのかと。あちらの世界には、……単純計算でひとり、死んでいる小学生がいて、その死を悲しむ親類や友達がいて、その死によって秩序が乱れてみんなで道を外れてしまったクラスがある。僕だって最後のグループに属するひとりだ。叶人が死んでから毎日見る夢のおかげで、現実や死、夢や幸せなどについての感覚がおかしくなってしまっている。どちらがどちらかたまに見分けられなくなる。毎日、二重の生活のはざまで漂って疲れている。

 そして一ヶ月が経とうとしていた。一か月は僕たちのクラスにとって、叶人が死ぬ前からとても重要な区切りだった。月の頭の日の朝最初の空き時間を使って、席替えをするのだ。僕は忙しい日々をこなしながら、あるとき次の月が近づいていることにふいに気づき、ほっとしたのを覚えている。そしていま次の月はほぼ目前だった。隣の席を見やると、ビーズの花で額装された叶人が笑顔で僕を見返してきた。今にもルークに手を伸ばして僕の陣地へ、あるいは陣地などはなく空中に浮いたキングに最後の、望みのない攻撃をかけてきそうな笑顔だった。もう一手僕に渡せば叶人の王様が詰むことを知ってか知らずかして、それでも攻めてくるのだ。そこまでイメージしたあと、僕は白昼夢を断ち切った。どうせ今夜みる夢なのだから現実の世界でまで思い煩うことはない。しかし、今夜夢のなかで叶人のいる学校に行って、実際に休み時間に盤を挟んで向かい合い、叶人が最後の攻めに手を伸ばして来たらどうするだろう?と僕は思った。先生はおかしくなったままだった。学校もまだ歪んでいた。うちのクラスだけは、ほかの4つのクラスと違っていて、現実には戻れないままだった。僕は夢のなかでも現実のことを考えていた。現実の時間帯に、もし夢のなかで僕が叶人と一線を越えてしまえばどうなるだろうと考えていたことを、夢のなかで思い出していた。チャイムが鳴った。

 「俺は勉強してきたんだよ」叶人は図書室色のバーコードが印字されたポケットサイズの本をカバンの中から取り出した。そこにはチェスの基本的な考え方と、勝利の方法が記されているようだった。しかし僕は覚えていた。現実の世界で、同じく将棋の本を借りてきた叶人が、ほとんどその内容を理解しておらず、友人たちが彼に勝つのはその後も変わらず容易だったことを。しかし、ここは現実ではなかった。「いいぜ。かかって来いよ」僕はそう答えて、叶人の一手目を待った。叶人の一手目は今まで見たことのない列の駒を進めるものだった。僕は長いあいだ考えた。休み時間が終わり、次の休み時間が来るまで考えていた。先生は呪文のような言葉をうなっていた。教室は静かで、クラスメイトは先生や叶人の言うことを受け入れていた。席替えで僕は、死者の隣に来てしまっていた。

 次の休み時間が来るまでに、僕は最後までを考え終わっていた。僕は叶人の駒に自分のキングを触れさせることを選ばず、代わりに最短距離で、叶人の息の根を止めに行った。次の休み時間で大勢は決し、僕は手元にあふれさせたもとは叶人のものだった駒のいくつかを、床に転がしてしまいおそらくひとつ失くしてしまった。叶人はそれを気にも留めなかったか気づきもしなかった。その次の休み時間――昼休みに最後の粘りをはねのけて叶人のキングを取ったあとも、チャイムが鳴るまでの時間はたっぷり余っていた。叶人はもう一回試合をすることを選ばなかった。そのかわりつまらない顔で、「いっしょにトイレに行こうぜ」と誘った。

 目が覚めて支度をして、疲れた体を押して学校へ行くと、先生が朝すぐに席替えを提案した。その時はまだ生徒も半分ほどしかいない朝早くだった。しかし、叶人のぶんもあわせたクラス全員分のくじが用意される頃には、この儀式につきあうクラスメイトは、全員教室に顔をそろえていた。先生が声をかけた順にみんなは教壇に上がり、折りたたまれた紙を浅い段ボールの受け箱から拾った。僕もそれにならって拾った。くじには数字が書かれていて、教室の席と一対一対応していた。

 ひとまず僕は今回は叶人の隣に座ることはないだろう。叶人と友達だった夢を見ることも二度と。なぜかそんな確信があった。しかし、では今度は誰が叶人の隣になってしまうのか?

 植物委員の立花壮図、お楽しみ係の梓川嘉納あたりであってほしいなと僕は思った。あのふたりなら、うまくやれるだろうから。それから、クラスメイトの顔を一通り見渡した。もし、その二人以外の誰かだったら、先生は、このクラスの皆は、そして僕は。先生が合図をし、みんなは引き出しの中身と自分の荷物をもって新しい席へ動き出した。途中でチャイムが鳴り、僕たちの動きは、とても早まっていった。