マリトッツォを食べている自分の写真

 

 ある友人がアメリカから一時帰国してきた。その友人がアメリカに行く間、1年間だけ家を解約するのも面倒なので誰か住んでくれる人~、と探している時期があって、そこに僕が応募したので、しばらくの間友人の家財道具をまるまる借り受ける形で彼の家に住んでいた、……というのが最近の僕の近況である。

 

 その友人が一時帰国してきたときに「まあお茶でもするか」ということになり、その時に友人が僕の写真を撮った。それがこれである。

 

 友人はこの写真が非常に気に入ったらしく、アメリカでいろんな人に「こいつが今俺の家に住んでいる」と写真を見せて回っていたらしい。友人的にはウケると思ったとのことだが、案外反応は芳しくなく、なんか気の毒な表情をされたこともけっこうあったらしい。

 

 最近仕事で使用しているパソコンの調子が悪くなっていて、カメラが全く映らなくなってしまった。基本的に会議中などカメラはオフでいても支障はないのだが、発言者となったときなどはすこし気まずいこともある。また、部署移動のタイミングでもあるので、はじめましての人相手にはまあ顔を映したほうが何かとうまく回る。

 ……ということでカメラのめどが立つまでの移行措置として、ビデオ背景に先ほどの「マリトッツォを食べている自分の写真」をセットして、とりあえず静止画ですが、こういう人が会議に参加しているよ、というのをわかりやすくしたんですよね。

 

 そしたら、写真が面白かったらしくけっこうウケたのである。友人に対しては。「ほら~」という気持ちである。気の毒な表情をされたって、見せかたや前振りが悪かったんじゃないですか? ちゃんとやればちゃんと好印象を与えられるのに…。なに勝手に俺の株を下げてくれてんだよ、である。

 

 しかも、職場くらいの関係性・職場のネット会議くらいの画像サイズだと、「これ食べてるの何?」といった雑談に発展することも多いのだが、それに「マリトッツォです」と返すとまたこれが小笑いになるのである。

 気持ちはわかるよ。「マリトッツォ食べてんじゃねえよ」と言われたらそれはごもっともだし、マリトッツォがいまやちょっと古い、というのも笑いにつながる。そもそも「マリトッツォ」って、発音が面白いので、相手の意識していないタイミングで自然に発話に出すことがあればそれでもうけっこうウケるのだ。

 

 当時の僕はただマリトッツォを食べたかったから注文しただけで、もちろん写真を撮られることも予期していないし、ふざけてやろうという気持ちも一切ない。そういうところも良かったのでしょうね。なんか、笑かしてやろう!みたいなのが前面に出すぎると、職場という真面目な場面ではちょっと良くない感じになることも多いですからね。本当にちょうどいい画像だったのであり、この画像があってよかったなあと思った。

 

 でもよく見ると顔パンパンだな…。昨日たしか飲みすぎてたんですよね。最近はもう体調がすぐ顔に出るので辛い*1

 あんまりたくさん人に見せる写真ではないかも。

 

結論

 マリトッツォを食べている自分の写真、今回で封印します。

*1:気の毒な表情をした人もひょっとしたら俺の体調を慮っていたからかも。