僕の作業机の位置からはテレビは見えないので、在宅勤務しながら「プレバト!!」を音だけ聞いていた。ダウンタウンの浜田が司会で、芸能人が俳句を作ったり消しゴムハンコアートを作ったりする番組であるが、俳句の比重が高い。
今回も、俳句ジャンルで行っている「タイトル戦」の予選会をやるということで、まるまる俳句だけの日だった。
卒業や階段に階段の影
それで聞いていた、フルーツポンチ村上さんのこの句がとてもよくて、誇張ではなくちょっと泣いてしまった。
スタジオでももちろん大絶賛。季語+詠嘆+フレーズという俳句の基本のかたちを採用してとても完成度が高いこと。「階段に階段の影」というおそらくまだだれもとりあげたことがないであろう情景を、端的なフレーズにまとめたこと。その情景と「卒業」という場面の取り合わせがとても良いこと。リズム的にはちょっと崩れているのだけど、それでもあえて「影」というワードを後ろに持って来る正解の決断。……といったことが話題に取り上げられていた。
ただ、1点思ったのだけど、「階段に階段の影」というフレーズで具体的にどういう情景を想像しましたか? 2パターンあるのではないかと個人的には思っている。
ひとつがこれ。階段1段1段に、その1こ上の段の影がかかっている、というものである。はっきりとは言えないが、流し聞いた限りではスタジオにいるうち何名かはこの解釈を取っていて、夏井先生もそれに対してツッコミを入れず、自身の解釈もこのパターンを排するようなものではなかった感じであった。
もうひとつがこれ。こういう明かり取りのついたくるくる階段があって、1こ上の階の階段の影が下の階段にかかっている、という状態である。僕が俳句を見て(聞いて)初見で思ったのはこっちだった。このなかにこういうくるくる階段が学校になかったやついる?(いねーよな!)というのがこちらの解釈をサポートする根拠になるだろうか。
あと素材を探していて思ったけどこういう解釈もありそうですね。外階段とかで、手すりとか壁とかも含めて「階段」ととっちゃって、階段自身の影が階段にかかっているというもの。自然には連想しないけれど、これもまあ排除はできない解釈だと思う。
卒業や階段に階段の影
この句で「影」は、卒業につきまとう別れやさみしさ、心細さを思い出させるような効果があって、それなら「階段」は卒業していく私たち一人一人だと取れるだろう。そうすると、段差それぞれが影を持ち、さらにとなりの階段にそれがかぶさっているというパターン①が1番理にかなっている解釈のように見える。
ただ、学校の卒業というのは毎年行われるものだ。誰しも、まずはふたつ上の先輩、そしてひとつ上の先輩の卒業(と、それに伴う寂しさ)を経験してから、自身も卒業する。そしてその卒業を後輩たちが受けとめる。
私たちそれぞれではなく、卒業が繰り返される学校という場を主役にするのであればパターン②の解釈がもっともしっくりくる。
そしてなにより、卒業というのは個人に属するエピソードでもある。階段全体をひとりの人間が経験する人生だと捉えたら、「卒業という曲がり角で自分が自分に影をつくり、良くも悪くもそれを踏まえて、踏みしめて生きていくんだよ!」というのは、上の2つの解釈にはそんなに乗れないような学生時代を過ごした人にとっても納得のいく俳句になるのではないだろうか。
なんだか心理テストみたいになってしまいました。みなさんはこのフルーツポンチ村上さんの句を読んで、どんな階段のどんな影を思い浮かべましたか? コメント欄やLINE、毎月1日と15日に20時からやっている配信のチャット欄などで教えてくれたらうれしいです。
ちなみにこれは、上の3つの階段が本文より先に表示されて、イメージを固定しちゃわないようにするためのダミーのサムネイル画像です。