絶賛しておすすめしたくはない理由がある~オタ・パヴェル『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』~

 

 ちょっとあまり類を見ないくらい傑出した作品だと感じたのだけど、オタ・パヴェル『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』をあまり絶賛してお勧めしたくない。

 僕自身もそんなに期待はせずに読んでいた。自然の中で育った主人公を自伝的に描いた、おだやかな、悪くいえば退屈な、すこしユーモアを交えた、悪く言えばそれ以上のものはとくにない、……という感じの作品だなあ、というのが第一印象である。最後まで読んだあとも、さっきの形容詞でぜんぜんOKだと思う。

 

ぼくらの中にある強奪欲は、一体どこからわきだすのだろう?

魚とみれば獲らずにはいられない血は、どこからわきだすのだろう?

 「魚釣り」に出会ってそれに夢中になった幼少期の思い出だったり、青年期の遊びの思い出だったり、さらに歳をとって年長のひとたちがすこしずつこの世を離れていったり、……というだけのお話。

 

 「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」というたまに議論されるフレーズがある。たしかに、「各自の生活を美しくして、それに執着する」個人の努力が政治に逆手にとられちゃう、「自分の生活を美しくするため」に結局は害がなされてしまう、ということも世のなかにはあるので、それはそうだとおもう。

 

 ただこのフレーズにも「本当だなあ」と思わせることがあると個人的には思っている。「各自の生活を美しくして、それに執着する」が、なにかべつのことへの手段ではなく、それ自体人生の楽しみとしてなされるとき、そのときにはその執着が、自分の人生に降りかかってくるままならなさや害に対しての、「反対」とまで強くは出れないかもしれないけれど、ちょっとした「一矢報い」くらいには、最後にふり返って見たところ結果的にはなっている、ということがあるのではないかと思っていて、それくらい弱めた意味で解釈されるときにそう思わせられる、……と思うのである。

 

 『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』は本当にたいしたことのない、ユーモアにあふれた人々の姿がたくさん描かれた軽い「釣り」小説で、この本を読み終わるときに読者は、楽しく釣りをしているだけのなんてことない人生が、戦争や強制収容所双極性障害といった、人生に降りかかってくるままならない害悪に、ひっそり打ち勝つことができる、ということを切実に感じることができるんですよね。

 

 こういうことを成し遂げている小説というのは僕は初めて読んだし、実際に人生がこういうことを成し遂げられるものだとも思っていなかった。なにげない人生の、ユーモアなお話だと思って読み始めたら、その何気なさが持つ力に圧倒されたという感じである。実際父親との別れのあたりからは涙どころかふつうに声出して泣いていました。*1

 

 頭を上げると、数羽の大きな鳥に気づいた。白鳥だ。翼をはためかせ、ズブラスラフ城のほうへと飛んでいく。そこでは涙も、笑いも、そして人々までもが、彫刻へと姿を変えている。

 なのであまり、「これから人生の意味について書かれている名作を読むぞ~」という気持ちで読んでほしくないんですよね。「さりげない暇つぶしくらいのストーリー集を読むぞ」くらいのほうが、作品のもっている趣と一致しているのではないかと思う。

 

 ほぼ三十年がたった今、初版のすべての話を読んでいると一六四頁の「a」の文字の上にふり忘れられたチャールカが、私の心をなによりも揺さぶる……。もはや、他のものはことごとく、感動を失ってしまった。読書による喜びだけが残っている。

 チェコでは国民的な作家らしく、本の最後に置かれている献辞も本編とは違った方向性で名文である。とくに書籍編集者だったら、こういうふうに晩年思える本を人生で一冊でも作りたいね、って共感できるのではないでしょうか。

*1:僕は小説読むとどんな作品でも多少は泣いちゃうので差し引いて考えていただければ。