ライブラリに向かって行く勇気を…!

 

 とくに定職につかず、低い労働強度と低い収入でだら~っと暮らしていく、という暮らしがはじまってもう4年目になる。

 

 はじめのころは「なにかを為そう!」というのや、「なにかを為すのはちょっとハードル高そうなので、せめていろいろな作品に触れよう」という殊勝な気分になっている時間も長かったのだけど、すぐに殊勝ではなくなってしまった。

 僕は自由とか余暇を手にいれるのが人生の最大目標にしている節があるのだけど、手にいれた自由や余暇をなにかに使うわけでもなく、ただそのまま費やしちゃうのがいちばん好き、みたいなところもあるんですよね。

 

 ただちょっとそろそろ切り返さなきゃいけないんじゃないかって気分に最近はなってきた。

 

 「人生低収入でもなんとかなるだろう」と考えたのは、やっぱり、ふつうの生活をしているだけでは目を通しきれない数の映像、文章、音楽がかなりローコストで公開されているという現代社会があったから。それを見ていく、というほうに寄った人生でもけっこういいじゃないか、と思ったのがとても大きいのである。

 

 もちろん、トレンドのものとか最新のものにアクセスする場合には、文章でも映像でも音楽でも多少はお金がかかる。ただ、僕はちょっと自分の教養や感受性に自信を持っているところがあって*1、「流行りものを課金して追わなくても、無償公開されている膨大なこの世界のライブラリを掘っていくだけでかなり楽しめるだろう、それくらいの素養はあるだろう」と思っていた。

 

 ただ、「トレンドや最新」が偉大なのは、決断をするというのが苦手な生き物人間に、そのコンテンツにとりあえず触れてみようと思わせる「受動的な決断力」のようなものをくれるところ。

 一方僕はけっこう時間と自由がありながら、「まあ明日でいいか笑」となり、SpotifyNetflixや近くの図書館に(あるいは自分の本棚に)ある、きっと触れれば大事な経験になるであろう作品と出会う日を先延ばしにし続けている。日々公表される流行りの作品やイベントにも「お金がないから」を言い訳にして、休日のお昼過ぎまで眠っている。

 

 退屈や暇を持て余して、結局なににも替えられないこと自体はそんなに嫌いじゃないけれど、さすがに極端すぎたかも、って最近思った。……というのが今回の決意の趣旨である。

 

 とはいえ、なにもきにしないでいい自由や余暇は欲しいので、こう期限を決めて何日のあいだに最低何冊とか何本本や映画を観る、みたいな数値目標は設けないのですが、心がけとして、「ちょっとだるいな~」と思ったときに、敢えて、手元で利用できるライブラリのなかの作品たちに向かい合ってみる、気が進まないかもしれないけど「これ」と決めて作品を手にとってみる、見進めてみる、というのを心がけていきたいなと思った。

 ひょっとしたらこの回がブログにpostされるまでの間に、「こういう作品に触れたよ」「こう思ったよ」みたいな回がいくつか投下されるかもしれませんが、その場合は、今日の決意は実行に移されたことになります。よかったね!*2

*1:良くも悪くも。

*2:or良くなかったけど、明日からは頑張ろうね!