こぶのようなもの~ニック・ホーンビィ『ぼくのプレミア・ライフ』~

 

スウィンドンとのゲームのあと、ある発見をした。少なくともフットボールに関して、ひとつのチームを好きになるのは勇気や親切などといったモラル上の選択などではない。それはむしろ、イボやコブのようなもの――体について離れないものだ。

 

 1957年生まれ、離婚した両親を持ち、アウトローなスタイルに憧れながらも体はいまいち強くない、成長するうちにリベラルなインテリになり、物書きを志す、そんなひとりの男、――おっと、ひとつ属性をつけ足すのを忘れていた、そんなひとりの「熱狂的なアーセナルファンの」男の半生を、彼が愛したサッカークラブの歴史とともに語ったエッセイがこの『ぼくのプレミア・ライフ』という本である。

 

 スポーツのファンであるということが、ひとりの男の人生にどんな深みと沼をもたらすのかや、スポーツのファンであることから見えてくる世界のありかたなどが、ユーモアあふれる文章で書かれていて、本当にびっくりするほど面白い。なんらかのスポーツチームを熱狂的に愛しているファンにとってはあまり目新しいことは書かれていないので、こういった偏愛とは無縁のひとが読むほうが面白いかもしれない。

 

日常生活においてフットボール観戦よりセックスのほうが心地よい体験であることには疑いがないけれど(ゼロゼロの引き分けもオフサイド・トラップもカップ戦のとりこぼしもなく、おまけにあたたかい)、あたえてくれる快感の量に関しては、セックスなんて、一生に一度、最後の最後に決まった優勝にはとてもかないやしない。

 

 ほかにもいくつか有名な本があるけれど、個人的にはニック・ホーンビィさんはこの本のイメージが強い。2006年のドイツ・ワールドカップに参加した32か国それぞれのサッカー事情について、その国の歴史だったり文化だったり、いろいろなトピックに絡めてサッカーを観ること、その国の代表チームを応援することがどんな体験なのかを多角的に取り上げる、といった趣旨の本で、いま読んでもけっこう面白い。

 

自分でも意外だった。国旗で身を包んだあの酔っ払いの人種差別主義者のチンピラ……あいつらが、なんと、ぼくの同類だったのだ。そしていっしょに試合を観ていた善良でリベラルな友人たちは同類ではなかった(そうだと思っていたのに)。

 いろんな国についてその国にゆかりのある作家が文章を書いていて、そのなかでも、自分の知識階級的な立ち位置とサッカーファンの一般的な社会的立ち位置との差に悩む感じを興味の焦点にした、ニック・ホーンビィさんの「イングランド」の章は素晴らしかった。

 

 この本にも素描されているように(もちろん、この本が書かれていた当時より今のサッカーはだいぶましになっているが)、サッカー観戦というのはモラル的に優れた趣味ではない(すくなくともセックスと同程度には)。

 「戦い」というのがコンテンツの中核である以上、敵対意識をみんなが持つこととの蜜月は揺るがないし、暴力や人種差別はいくら厳しい態度を取りつづけても根絶できていない。個人的には、観客の持つ選手に対する消費的な態度が気になっている。ファンは時に、彼らが人格を持つひとりの人間であることを忘れてしまう。スポーツ選手の多くがメンタルの問題を抱えているという。スターダムにのし上がれる選手の栄光の影で、苦しんでいるひとが無数にいるのだ。

 

 ホーンビィの『ぼくのプレミア・ライフ』は、一面的なスポーツ礼賛の本ではなく、もうすこし複雑な、スポーツ観戦のありかたに関する疑念と逡巡を含んでいる、襞のあるエッセイである。そして、同時にポップであり、思索的であり、とてもおバカでもある。

 

 アーセナルファンなら必読*1。スポーツファンも楽しめるはず。そんなのに興味はなくても、読むものに困ったら、読んでみても良いのではないでしょうか。

*1:僕はスパーズファンなので終始微妙な気持ちで読んでいた。