正岡豊さんというかたの書いた歌集『四月の魚』を読んだ。有名な歌集で、いろいろなひとが感銘を受けたり影響を受けている、と報告しているのを見たことがある。
ねえ、きみを雪がつつんだその夜に国境を鯱はこえただろうか
「ぼくはぼくのからだの統治にしくじりしうつろな植民地司令官」
こういった歌は聞き覚えがある。鯱の歌は間違いなく聞いたことがある、……というかやっぱり初めて読んだときには感動して、そのあといまにいたるまでなんとなくそらで言えるくらいではあった。植民地司令官の歌は、それとおなじくらいはっきりではないんだけど、やっぱりちょっと聞き覚えがある。
ネクタイにかかりし雨には溶けているかすかなぼくらの未来の記憶
きみが首にかけてる赤いホイッスル 誰にもみえない戦争もある
映画雑誌のタルコフスキー特集で八月の陽をさえぎり歩め
ただ、いま読みかえしてどういうふうにこの歌集を楽しめばいいのかはちょっと難しかった。
ペダンティックで青春で、ちょっとしたセンスの良さとその奥にある抑制された感情を大事にしていて、そのぶんだれでもわかる卓越性をそんなに押し出していない作風で、波長が合うと面白いのだけど、なにがなんなのかわからない、それがなんの歌なのかについてあまり手掛かりを与えてくれないつんとした歌もけっこうある。
こういった方向性を持ったほかのひとのほかの作品と並べられたなかで、この歌集に収録されているような作品群を根拠を持って選出するのはちょっと僕は難しそうだなと思った。
神様だってひげそりあとにクリームをすりこむかもしれないさ土曜日
街はミルクに浮かぶ苺 にぶき音たてて天候機械は動き
夜にみし互いの夢を語るときいつもこころの水わたる蛇
言っていることが感じとれるかとれないか、というところを置いといて良い歌だなあと思ったのはこのあたり。
「神様だって~」の歌はシティポップな雰囲気があって良いですね。クリームをすりこむかもしれないさという(いい意味で)どうでもいい弱い主張と、決して突飛ではないそのほかの言葉選びが合わさっているだけなのに、その合わさりかたのさりげない良さだけでいい詩になっているように思う。
「ミルクに浮かぶ苺」の歌は前半部分の比喩的描写が決まっている。霧深い街に摩天楼がぼんやりと頭を出している様子を思い浮かべるのだけど、その正しいのかよくわからない想像が、「天候機械」という謎のワードが出てくる後半部分との連続性を作っている。
「こころの水わたる蛇」が一番、好き嫌いで言っても好きだけど、ひょっとしたらちょっとなにを言っているのかはわかりやすいのでそんなに典型的な作品ではないかもしれない。
この本は新装版で、一番最後の「風色合衆国」というセクションがオリジナル版に比べて新たに追加されているらしい。この「風色合衆国」はとくにわけのわからない歌が多いが、同時に迫力があって良かった。……好きな歌、は迫力がないほうになっちゃうんだけど大島弓子という固有名詞*1を出したこれ。「お茶の時間よ」という終わりかた、かっこいいですね。