「行く前に……ママにキスしてもいいかな?」
読んだことはなくても、名前を聞いたことのあるかたも多いのではないか。チャールズ・ディケンズの『二都物語』を読んだのだけど、とても面白くて終盤はずっと泣いていた。
ただ、どういうふうに言えばほかのひとにも読んでもらえるのか、ちょっと謎な小説だ。一番ふつうなのは「ロンドンとパリ、ふたつの都市をめぐる人々の運命と因縁を描いたドラマ」という感じだけど、それだとふんわりしすぎている。
あらすじを紹介してもいいのだけど、この本は正直ネタバレは一切ない状態で読んだほうがいいタイプの本である。ネタバレにならない程度にどんな話か……、というのもできない。『二都物語』は半分を過ぎるくらいまでこれが実際なんの話なのかわからないし、なんの話か分かってくるときの驚きも作品の面白さの一部を構成しているのである。実際、この先は1ミリくらいネタバレなので脚注に飛ばすが*1だろうか。
だが裏腹に、この本はけっこうモチベーションを保って読むのが難しい。とくに前半部分はなにが起きるだれのなんの話なのかがよくわからないわりに、いろいろな登場人物が現れ、場面も次々転換し、イベントも進行していくためついていくのが難しい。
その上、『二都物語』はエンタメ作品なのだが、150年くらい前に書かれた作品であることもあり、文章の感じとか情報の出しかたが現在のエンタメ作品とはちょっと違うのでだいぶ読みにくい。
ふつう本を読むときは「この辺はあまり本筋に関係ないから流し読みでいいか、……ここは事件が起こっていて重要だからしっかり読もう、……ここは前振りだからきっかけにだけ注意して流し読みでいいな」などと、本の雰囲気に合わせてこちらがわのテンションも調整しつつ読むと思うのだけど、この調整の波長が合わない。現代の読者が思いもよらないタイミングで見失うと筋がわからなくなる重要情報が出てくるし、かと思えば重要そうなシーケンスが全体としては遊びの部分だったりする。
かねてよりその意味を承知しているゆえに恐怖を誘うことのない音が近づいた。ドアがいくつか続けざまに開いて、順番が回ってきた。
もし『二都物語』を手にとることがあれば、最初の半分は耐えてほしい。なんだこれ?と思うかもしれないが、読み飛ばさずに、名前が出てくる登場人物のことは「こいつなんの意味があるんだ?」と思ってもとりあえずなにをしただれなのか憶えておくのがぜったいにいい。あと、忘れちゃっても検索はしないほうがぜったいにいい。とくにwikipediaとか見たら完全なネタバレが書いてあるので。
これらの努力は、終わりまで読むころにはすべて報われているでしょう。
個人的には冒頭に引用した台詞がでてくるところから最後まで、ずっと泣いていました。アニメ化してほしいよ……。動いているみんなが見たい……。
(劇にはなっているらしい。たしかに非常にステージ映えのする小説である)
おまけ1
疫病が流行っている時、どうせならこの病気で死にたいと、気まぐれながらひそかな願望に傾くことがある。人は誰しもそうした理不尽な動機を胸に秘めている。条件さえ揃えばそれが喚起されるのだ。
この文章とか、実際文脈的には関係ないのだけれど、現在の世界の状況にちょっとあっていて良かった。いま死ぬんだったらコロナで死にたいな、みたいな気持ち、ないことはなくないですか?
おまけ2
現代の日本のエンタメ的観点でいうと、(この小説の陣営をネタバレ最小限で表すと、「フランス組」「イギリス組」になるとおもうのだけど)じつはフランス組の意図や計画のほうが共感を集めるかもしれない。ディケンズはそうは書いてないと思うのだけど、「フランス組」にも共感が入ることで、エクストラなアンビバレンスが生まれて現代日本人にとってはさらに深く、面白く読めるかもしれない。
*1:多くのひとがこの話の主人公がだれなのか途中までわからないのではない