本当に「作るしかない」のか?~藤本タツキ「ルックバック」~

 

 (ネタバレと京都アニメーション放火事件に対する言及があります)

 

ルックバック - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

 

 

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 藤本タツキの「ルックバック」では、作品を作ることにかける純粋な情熱のもつエネルギーと、作られたものである「作品」がどのようにして人間の生と相互作用するのか、ということが描かれる。とてもパワフルなマンガでとても胸を打つのだけど、同時にちょっとナイーブに見えるところがある。

 

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 「絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」と供述する人物によって、一緒にマンガを製作する仲間だった京本は殺害されてしまう。そのあと、虚実の入り混じる、フィクションと現実の相互作用を取り扱ったシーケンスが挿入され、ラストシーンで主人公の藤野は決意を新たにし、再び机に向かう。

 

 「それでも作品を作り続けるしかない」というメッセージが込められているように思う。

 

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 この、現実の悲劇に対して「クリエイターができるのは作品を作ることだけだ」とする主張は、それだけとってみると必ずしも好意的に受け取られるものではない。

 最近もゲスの極み乙女。川谷絵音さんがロッキン・ジャパンの開催中止に際して「エンタメが死んでいかないように自分が出来ることは、ひたすら音楽を作っていくことしかないな」とツイートしてちょっと批判されていた*1

 

 こうなる理由はわからなくはない。僕がもし、いままではギリバイトとかでつなぎつつバンドができていたけどコロナ禍でそれもつながらなくなり、音楽をやめる瀬戸際になったミュージシャンとかだったら、「川谷絵音さんには発信できるステータスがあるのになぜ言ってくれないんだ…」と恨めしく思うだろうし、もしそんな境遇のミュージシャンでなかったとしても、僕が切実に困っていることについて、世間に影響力があるひとがべつにしてくれたっていいはずなのに言及しない、みたいなのを見たらちょっと面白くない気持ちになる。

 

 池江璃花子選手に五輪反対を迫ったりする声*2とかもそういうものではないか、と思っている。もちろん、全く無力なモブと比べたら彼らアーティストやアスリート、著名人には発言力はあるのだけれど、べつに直接意思決定をしたりできる立場ではない。そのひとたちなりの仕事や、忠義だてしなければいけない相手や、人生設計もあるだろう。

 

 (スポーツや作品制作やテレビ出演などの仕事を)「続けていくしかない」、ひょっとしたら「そのことでみんなに勇気や夢を与えるのが自分のやれる唯一の仕事」というのは穏当で安全なコメントだけど、それを自分で白々しく感じずに言える人はそんなにはいないと思う。

 

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 「ルックバック」の作中で起こる事件は、京都アニメーションの放火事件を想起させるようなものになっている。

 

 京都アニメーションの放火事件は、とくにフィクションをつくる創作者に対して、「なにか応答しなければいけない」という感覚を突きつけるものだっただろう。京アニが作品を作ったということそのものが呼び水となった事件であり、根拠のない妄想が犯行者をひどい犯罪に駆り立てたことと、「素晴らしい作品に触れてそれで気持ちや考え方が変化する」というフィクションを楽しむ人がふだんしていることとのあいだに本質的な違いがあるのかよくわからなくなってくるからである。

 

 そういう事件に対する応答が「作品を作り続けるしかない」でいい、とはただちには言えない。ひょっとしたら「人に希望と喜びを与える」作品を作り続けるしかない、くらい言わないといけないのではなかったりしないでしょうか*3

 

 どんな作品を書くのか、……いまそうするしかない、と言っちゃった作品制作の行為が世界の各地でなされることによって、この世界や人々にどんな正や負の影響を与えるのか、そういうことを一旦無視して「作るしかない」(ほかにも「プレーするしかない」「舞台に立つしかない」「歌うしかない」など)と言い切ってしまうのは、創作の都合のいい部分だけを見たクリエイターの自己陶酔のように見える。

 

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 テオドール・アドルノが「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」と言ったような、書くことそのものがもつ暴力性もある。*4

 

 Oasisの楽曲「Don't Look Back In Anger」と「ルックバック」の関連性は作品内でも、作品の始めと終わりの部分で巧妙に示されている。

 

 この曲はそういうふうな曲として製作されたわけでは(たぶん)ないが、22人の死者を出したマンチェスターのテロ事件の追悼集会で、群衆のなかのあるひとりが歌い始めたことをきっかけに、テロリズムに対する市民の抵抗を象徴する歌として歌われるようになった*5

 

 しかしこの「怒りにまかせて思い出すな」というメッセージも、つねに適当であるようなものではないと思う。すくなくとも、オリンピック開会式の作曲を担当した人物に対しては適用されなかった*6し、この場合過去の出来事を「怒りに任せて思い出さない」ことが適切なのかについては議論があるだろう。

 

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 個人的には「Don't Look Back In Anger」は、当事者でも有力者でもない市井の一般人が、現実に起こった理不尽な(加害者のいる)悲劇と折り合いをつけるための歌だと思っている。

 憎しみが次の悲劇を引き起こすのを未然に防ぐための歌なのだ。だからテロのあとによく歌われる。

 

 逆に政治家や当事者はこの歌を歌うべきではないと思う。それぞれになすべきことがある。

 

 悲劇の当事者には相手を憎む権利がある、怒りに任せていつまでもその瞬間のことをおぼえている当然の権利がある。その時間にたまたま生きていて、ネットでニュースを見てショックを受けただけの我々には、怒りに身を任せず、けれど目をそらさずにそれを見ている義務がある。

 

 創作者や著名人には、発言をしなければならないと押し寄せる内外の圧力がある。向けられたマイクがある。我々には凶悪な事件を作品に昇華させる技術はないし、したとしてもほんの限られたひとにしか届かない。すでにある、(そして群衆の中で歌われることによって新たな意味が加わった)ヒットソングを歌うことくらいしかできない。ユニゾンの輪の中に加わり、怒りの反応を鎮めることしかできない。しかし、そうして憎しみの連鎖を市民のなかで断ち切るということが、モブにしかできない、そしてとても難しい、素晴らしい勇気の行動なのである。

 

 歌い終わったあとは、一般人の一人一人は自分のこれまでの生活に戻っていくしかない。規則や制度を変えることも、言論で人々の心を動かすことも、この思いを作品に結実させることも一般人のやることではないので、怒りを冷ましたあとは、憎しみの連鎖に加担しないことを態度で示したあとには、暮らしに戻るしかやることがない。

 

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 「ルックバック」で最後に藤野が藤野が向かった机は、そういう悲劇に直面したモブとしての意味で「暮らしに戻った」ということなんじゃないかと思っている。クリエイターとして、この事件に対する応答として「作品を作るしかない」と思ったわけではない。むしろ、作品を書くことの意味にはまだ答えを出せないでいる。本当にこの生き方が正しかったのか、どうしても疑わずにはいられない。

 

 しかし、藤野はクリエイターである以前に一般人だ。ただ机に向かってマンガを描くことが作品内で描かれるこれまでの人生の(賞金で町に遊びに行ったりした、とかを除けば)すべてであり、事件に向き合ったあと戻る元の暮らしは「マンガを描く」ことしかないただの一般人なのである。

 

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 だから、このあと藤野は、友人の死を乗り越えた新作でもなく、現実の理不尽をモチーフとして取り入れた突飛な新展開でもなく、12巻を描くのだと思う。

 

 「ルックバック」がマンガとして優れている部分や、ひとの心をつかむ部分はこれとは全然別の部分だとは思うのですが、「Don't Look Back In Anger」という、クリエイターの手を離れて独り歩きしている、群衆発祥の市民的勇気のメッセージを持った歌がモチーフとして使われているところから、職業的クリエイターの立場から言う白々しい「作品を作っていくしかない」には落とし込めない、創作に対して情熱を持っていて生活のほとんどが創作になってしまっているような人間の、現実の事件に対する真摯な応答、という側面を見つけることができるのではないか、と思いました。

*1:川谷絵音「発言が不用意でした」と謝罪 ロッキン中止で「音楽作るしか」投稿に「声挙げろ」の批判受け

*2:SNSで池江に「五輪に反対を」の声 複雑な胸中明かす

*3:直近の第165回直木賞の選考会は3時間の激論となり、「こんな描写を文学として許してよいのか」「文学とは人に希望と喜びを与えるものではないのか」といった意見があがったらしい(直木賞選考「3時間の大激論」 林真理子さんの講評)。

*4:……けどこれは今回の話の流れ的には関係ないかもしれない。

*5:テロ事件から1年を受けてマンチェスター市民がオアシスの“Don’t Look Back In Anger”を大合唱

*6:小山田圭吾さん 東京五輪作曲陣から辞任の意向 大会関係者