僕の父親は30歳そこそこで事故で亡くなってしまっている。それ以降母親は基本的にいっぱいいっぱいで、その後は完全にセットされた朝ごはんを作ってもらえる日、というのはそう多くなかった。
母の調子がいい日には、ご飯とおかずとたまにお味噌汁が出てくる。普通くらいの日には、起きてテーブルに座っていると、缶スープ、冷凍揚げパン、コーンフレーク*1などのうちひとつが出てきた。「だめ…😵」という感じの日には、弟と一緒にアパートのすぐそばにあったパン屋さんに行ったり、お茶漬けとか目玉焼きを作ったり、てきとうに残り物を温めて食べたりしていた。
中学校に上がるころになると、祖母が一緒に住むようになり、基本的には祖母が作ってくれる朝ご飯を食べるようになった。
高校時代の全部と大学時代の一部、合計5年間は僕は寮生活をしており、そのころは朝所定の時間に起きて食堂に行きさえすれば朝ご飯にありつくことができた。行きさえすれば、というのが絶妙なところで、まあ学校に朝から行かなきゃいけないとき(高校時代の全域にわたってと、大学時代のごく一部の日だけ)は起きて食べるんだけど、そうじゃない日はわざわざ早起きして食べることはあまりなかった。
朝ご飯、食べたほうがいいのは頭ではわかってるし、実際食べたときのその日の幸福感・充実感はすさまじいのだけど、まあ寝るほうを選んじゃうんですよ。
それ以外の大学時代とフリーター時代は面倒なので朝ご飯は食べていない、……というか基本的に昼夜逆転していたので、朝ご飯という概念がちょっと無かった。
就職してからは、9時出社の日は眠くてやってられないので朝何か(コンビニおにぎりとか)を食べるが、10時出社の時は眠くなくてやっていられるのでとくに何も食べない、……という感じになっている。
さてここでタイトルに書いた話になるのだけど、本当によく見るんですよね。とくに、大学時代とフリーター時代と正社員になってから、……つまり、朝ご飯を食べるのが日常とはなっていない時期によく。
「いま僕がいるのは寮の自分の部屋で、時間は朝で、もうすこしで起床の時間を知らせるチャイムが鳴って、『眠いけど頑張っていま起きて食堂に行ったら、朝ご飯が食べれるな。今日の朝はなんだろう。火曜日だからパンかな!?』みたいな感じのことを思いながら、チャイムが鳴るまでのあとちょっとの時間を名残惜しくまどろんでいる」という夢を。
この夢を見て目が覚め、いままでのことが夢だったとわかり、現実のことがすこしずつ像を結んできたとき、いつも切なくなって気が沈む。ポルトガル人だったら「サウダージ……」と呟くだろう。そして毎回、ちゃんと立ち直るまでに30分くらいかかる。