「素敵すぎてしまった」の「夢」の2つのテクニック

 

あの夜が夢のように 少し 素敵すぎてしまった

そうか これはその罰だろう 夢を見終えた暗闇なんだろう

 

 ポルノグラフィティの9作目のオリジナル・アルバム、「PANORAMA PORNO」の7曲目に「素敵すぎてしまった」という曲がある。この曲の冒頭部の歌詞2行が上記のこれである。……ここには、語るところがすくなくとも2つあるように思われる。

(歌詞全文:https://j-lyric.net/artist/a000611/l0282f7.html

 

1.冷静に考えるとそんな経験はないだろ、というものをしれっと言う

 ここで一番目立っているフレーズが「夢を見終えた暗闇」というところ。一見自然に見えるが、よく考えるとちょっとおかしい。ふつう人間は、夢を見終えて自分の内面世界が真っ暗闇になっているところを経験しないからである。

 「夢を見終わる」という言いかた自体がやっぱりちょっとへんで、夢が終わるときというのはほぼ必ず、夢が中断されて目覚めるときなのだし、真夜中のレム睡眠とノンレム睡眠が切り替わるタイミングで「夢の見終わり」みたいなことがあるのだとしても、ふつうはそれをおぼえていない。

 

 しかし、このフレーズはおかしいのだけど、ふつうに読めてしまう。それには2つの理由があるのだと思っている。

 ひとつは、「真夜中に放送が終わって、そのあとは暗闇になるテレビ」、……というモチーフがけっこう人口に膾炙しているので、その類推でなんとなく「夢を見終えた暗闇」という嘘を、リアリティを持って想像できるということ。実際、ポルノグラフィティにもこのモチーフを使った曲がある。*1

 

 もうひとつは、「夢」という言葉にはふたつの意味があって、夜見るほうではなく「将来の」とついて思い描くほうの夢ととる場合は、「夢を抱いたり夢見ることがなくなると、なにもない真っ暗な状態になってしまう」というふうになり、なんとなく意味が通るからではないでしょうか。

 実際に歌詞の全体像を見渡してみると、「将来の」のほうの夢ととっても問題なく収まる。このダブルミーニングは、意図されている読みかたのように思われる。

 

2.なぜ、「夜見る」ほうの夢ととれるのか

 しかし、「夢」のもつダブルミーニングにまで思い至ると、ちょっと困った問題が発生する。「夢を見終えた暗闇」というフレーズが、「夢」を「将来の」のほうととるといい感じに座りがよくなってしまうので、夜見るほうの夢ととる解釈の存在感がなくなってしまうのである。

 

そうか これはその罰だろう 夢を見終えた暗闇なんだろう

 いま見ると、この「夢」は「夜見る」:「将来の」で8:2くらいに見えてしまう。これはあまり良くない。「将来の」のほうの夢をみなくなってしまうと「暗闇になる」というのは、ちょっと説教くさく、説明的で、よく見かける言葉であり、歌詞としての面白みに欠ける。

 「夜見る」ほうの夢を見終えたらそこは暗闇になる、という光景のもっていた詩的な飛躍やリアリティが前面に出てきて、それを補佐するような感じで、そっとそのあとに「将来の」夢をみなくなったら暗闇、という意味が香ってくる、くらいがこのダブルミーニングのバランスとしてはちょうどいいのである。

 なので、どうにかして、ここではこの「夢」は「夜見る」夢ですよというのを聞き手に知らせるシグナルが、――それもなるべく自然なシグナルが欲しい。

 

あの夜が夢のように 少し 素敵すぎてしまった

そうか これはその罰だろう 夢を見終えた暗闇なんだろう

 そのシグナルをこの歌詞は持っているんですよね。その直前の行で「夢のように」という言葉を置くことで、「夢」のダブルミーニングの配合比問題を鮮やかに解決している。

 

 比喩の言葉として使う「夢のように」の「夢」は、とくべつな文脈がない限りほぼ100%「夜見る」ほうの夢になる。その「夢」が夜を修飾しているのはさらに駄目押しだ。それを先に置くことで、夜見るほうの夢をなんとなくちらつかせることで、2行目の夢が、しぜんと夜見るほうの夢という第一印象を持って受け取れるのである。

 1行目と2行目の「夢」がおなじもの、おなじ性質のものであるという文法的な、あるいは意味的、文脈的な絶対の理由はないのだが、ただ自然にそう読めてしまう。

 

あの街で夢破れて 少し 胸に傷を負った

そうか これはその罰だろう 夢を見終えた暗闇なんだろう

 ちょっと変えて、架空の歌詞を作ってみたんですけど、こうしたら下のほうの夢は「将来の」のほうの夢に自然ととれるんじゃないでしょうか。

 

 そのうえ、夜が「夢のように素敵すぎてしまった」というのは、単体だときらびやかなわりに語が抽象的で、内容のない、ちょっと弱いラインになっているように見えるけれど、2行目の「夢」との補完関係のお陰でここも補強されている。

 比喩ってとつぜん出すとちょっと弱くなるんですけど、近くに近いワードを置いておくと補強されるんですよね。ちょっとなに言っているかわからないと思いますが、この話はいつかまたどこかでしたいです。

 

 ひさしぶりに聞いたけど、やっぱりいい曲だな~😭と思いました。ちょっとここで足が止まって長文を書いてしまい、まだ最初の2行しか聞いていないですが。

 

*1:2ndアルバム「foo?」の「夜明けまえには」を念頭に置いている。しかしこの曲の作詞は「素敵すぎてしまった」とは違って岡野昭仁さんである。