回転が大事なのは、軌道が変わるからじゃない、……らしい

 

 これは小学校のときに卓球に微笑みかけられたと誤解したばかりに、弁護士への道に背を向け、公務員の職も捨て、人生を棒に振って卓球につきまとっている男、いわば卓球ストーカーの物語なのだ。

 SNSで話題になったこの卓球の記事を観ましたか? ほかのことはなんでもそつなくこなすのに、卓球だけがうまくいかない、……けれどほかのことではなく卓球だけに、人生で持てるすべての情熱を注ぎ続けた男が、35歳にして初めて全日本に挑戦する、という非常に文学的な事実をレポートしたとても面白い記事である。

 

 僕はやるぶんには温泉卓球しかやったことがないし、見るぶんにも新年にとんねるず石川佳純選手や張本智和選手にフライパンを持たせて戦っている卓球しか見たことがないのだが、この記事の作者伊藤条太さんの卓球記事はどれもとても面白く、熱中して読んでいる。

 

 伊藤条太さんで思い出すのがこのストーリー。卓球にはなぜ「カットマン」という、特殊なプレイスタイルの選手がいるのか? という疑問をてこにして、卓球という競技の奥深さについて語るこの記事ははじめて見たとき、本当に涙ぐんで感動したのをおぼえている。ダイレクトに泣ける要素はないのだけれど、文章の巧みさと熱量にはっきりとあてられてしまった。

 

カットマンは相手に回転量を悟られないようにあらゆる工夫を凝らす。ラケットの両面に摩擦係数の違うラバーを貼ってラリー中にラケットを反転し(ラバーが同色だとまったく返球できないのでルールで赤と黒に決められている)、スイングでインパクトの瞬間をカムフラージュし、ときには足音を鳴らして打球音を消したり卓球台より下の、相手から見えないところで打ったりもする。

 卓球は回転が大事なスポーツであるが、なぜ回転が大事なのかというと、それによって打球の軌跡が変わり相手が打ち返しにくくなるからではない。打ち返したときの打球に回転が残ってしまい、あらぬところに飛んでいくミスを誘うから、……だという。卓球は回転をかけあい、それを読みあうスポーツなのである、……らしい。

 

カットマンの回転に対応するためにはカットマンと練習しなくてはならない。だからカットマンが少なくなるほど皮肉なことにその競争力は上がる。極端な話、世界にカットマンが1人しかいなかったら、その選手は世界チャンピオンになるだろう。カットマンと一度も練習しないでカットマンに勝つことは不可能だからだ。

 もちろん、卓球そのものの、意外と知らなかったスポーツの仕組みが知れるのも知的好奇心が満足してよいのだけど、それ以上に卓球という競技が作り上げている体系、積み上げてきた歴史、そのなかで苦しみながらも戦う選手たちのドラマを掬いあげるような文章がとても面白い。

 

 そして単に面白いだけでなく、――やっぱり、どんなスポーツにもその内側には面白さがあって、その面白さを理解しているひとにとっては絶対に面白いはずです。ただ、そのスポーツの面白い部分や深み、広がりを、読者がちょっと「?」って思うようなとっかかりを紹介するところから初めて、広げていき、最後にはダイナミックにかっこいいい筆致で〆る、そういうことをどの記事でもやっているのが本当にすごい。

 卓球に興味のあるひとも、ない人も、おすすめですよ。伊藤条太さんの卓球記事。

 

女子シングルス決勝で、日本の佐藤瞳(ミキハウス)と加藤美優日本ペイントホールディング)が1時間38分という、現代卓球における最長試合記録を更新したのだ。長引いた原因は、佐藤が卓球特有のカットマンという守備型であったことと、その守備があまりに鉄壁であったために対戦相手の加藤が打ち抜くことを諦めて粘る作戦に出たことだ。

 

質問は「下回転に対するバックハンドのスピードドライブを打つ方法を教えてください」というものだったが、それに対する水谷の回答は「それは必要ないので、そこに練習時間を割くのは間違っている」というものだった。

 

ニュース番組でキャスターが「さて次は卓球です」とさも当たり前のように言うのを聞くと、未だに何とも言えないむず痒いような信じられないような気持ちになるし、タレントが卓球を好きだというのを聞くと「本当はそう思ってないよね?」などと思ってしまう。モテない男や女が急に愛を告白されて、からかわれているのに違いないと疑う心理に似ている。それほど暗黒時代のトラウマは強烈なのだ。

 

町内会のバレーボール大会だとしてもこんなことをできる人は希だろう。ガイスラーは町内会どころか、何年もの血の滲むような練習の末に迎えた世界最高の舞台で、欲しくてたまらない1点よりも、自らの誇りにかけてフェアネスを選んだのだ。