こよみモードでは、ブログの更新状況を確認できます。投稿したい日付をクリックすると、記事編集画面が開きます。……そして過去の同じ日に投稿した記事をふりかえることもできる。
この機能がけっこう面白い。むかしの自分がこういうことをしていたのか、とふりかえるのは、メモリアルでエモーショナル。限りある人生をそれに費やしても十分なくらい楽しいことである。この「進学天使」というのは、久井涼子さんのなぜかWebで読める同名の漫画についてその良さを書いた回で、このときの自分は、そういえばそういうことを考えていたのだった。
人生をふりかえって、何層にも体験することは、単純に厚みが増してコスパがいい。自分の人生が、生きる価値があるものだったかのように思えてくる。今夜はすこし自分の残してきたログのなかに分け入って、年輪を内側へたどってみたい。
じつは僕には日記を書く習慣というのがあって、ちょうど2年前のいまの時期には自動車学校のグループワークに苦しんでいたり、カナディアンクラブのおいしさに目覚めつつあったり(このあと、けっこう長い期間カナディアンクラブばっかり飲んでいた)、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を読んでいたり、しょうもない負けかたをしたキリンチャレンジカップ日本vsガーナを見ていたりしていた、ということがわかる。
2018年にはこんなものも書いていた。キャプションをみてみると今回で40万文字になっているらしい。
これはほんとうにもうちょっとべつのことを頑張っていたほうが良かったと思う。その年には卒論を4万字くらい書かないといけない義務があったのだが、結局2万5000字くらいしか書けなくて、口頭試問で「ぜんぜんダメだね君」と言われて、「そうですね…😥」となったのをおぼえている。
今話題になっている対局じゃなくて、ひとつ前のやつだけど、最高すぎる文章なのでぜひ。
— soudai (@kageboushi99m2) 2017年5月28日
黒37手と白78手:AlphaGoとイ・セドルが再定義した「未来」
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僕がずっと継続して取り組んでいるもの、といえばなんといってもTwitterである。微妙に5月30日ぴったりのツイートはなかったのだけど、その周辺では囲碁AIにまつわる良いストーリーに感銘を受けていたようだ。ちょっと古びてしまっているのかもしれないが、WIERDのこの記事はとても良かったのでぜひ読んでみてほしい。
2016年は読書管理サービスの読書メーターを見てみよう。この時期に読んでいた本がだいたいこのあたりだ。『マイヤーズ心理学』とかは700pくらいあるばきばきのでかい教科書で、ちゃんと通読しているの偉いなと思う。『ハドリアヌス帝の回想』も思い出に残っている好きな本。『西洋哲学史』も、『これを聴け!』も面白く、よく覚えている。『足摺り水族館』も印象的だ。ほかはふつうだったのであまりおぼえていない。
自分ではそのことを恥じているきらいがあって、あんまりひとに言うことはないのだが、お話を作るのがとても好きで、作ったものをインターネットに継続的に載せてきていた。
インターネットに残ったそれも、過去をたどるきっかけになる。2015年のこの時期には、(一生に一度はやってみたかった能力バトルもの)長編物語の、中盤の一番盛り上がるバトルを作っているところだったようだ。
これを一回分作るのには(プロットとかを作るのを除く実作業時間で)7~8時間くらいかかっていたのだけど、みたところこの時期は月6~7回くらいのすさまじいペースで更新している。頑張ってますね。
いまでもたまにTwitterで言及してくれるひとがいて、自分で読み返しても正直面白い。僕は才能に恵まれた人間ではなく、うぬぼれることもできないくらいしょうもないものを作ってしまうこともしょっちゅうなだけに、ありがたいことである。
環境に適応できてないし大人しく淘汰されよう!
— soudai (@kageboushi99m2) 2014年5月30日
これも、種の存続のためだ!
2014年にまでさかのぼると、さすがに利用できる記録が減ってくる。ツイートはかなり厭世的だ。本を見るとかなりポストモダニズムの小説に傾倒しているということが思い出せる。
このころは「神隠し前夜」という名前の、「小6の男の子が離婚する両親のどちらについていくか迷いながら沖縄の離島で出会ったオカルト好きの女の子に勧誘されて一緒に41年前に起こった神隠し事件の調査をする」という内容のジュブナイルミステリー話を作っていて、これが終盤の入り口ぐらいの回だった。
もうすこしなにかないかと思って、当時のメールを探していたら、当時のサークル活動の連絡や報告が出てきた。上が歌会のメール、下がサークルで外部の取引先と連絡していたときのメールである。担当を引き継いだばかりだったのだがいきなり怠惰をしていて、しかもこのすぐ後のメールで臆面もなく「こちらの準備が整っていないので打ち合わせを延期できないでしょうか?」などといった文面を送っていて背筋が冷える。
発達の道はまだ、はじまったばかりだったのだ。
2013年になると、手持ちのものでたどれるログはひとつを除いてなにもない。ツイッターもやってないしメールもほぼ使ってないし、読書記録も写真の記録もない。ひとつだけ、書いていたお話の最終回を7年前のいま発表していたのだけど、そんなに良くないし、それ以前にちょっとプリミティブすぎて恥ずかしい内容なのであまり思い出したくない。
2012年以前のインターネットに僕の足跡はなにもない。ここが、年輪の中心地点だった。