117 時報

 

 僕は子供のころ本が大好きな子供で、幼少期の人間が自らの身で経験できるよりも多くの知識を本を読むことによって得ていた。星座の本がお気に入りで、全天にある88の星座をその神話ごと暗記していたが、実際に夜の空を見上げて知っている形を探してみることはなかった。

 

 本で読んだ星座が、現実の空にもあるということがまだよくわからなかったのだと思う。ちがう世界だと思っていた。本に書かれている現実と、自分が経験している現実が、おなじ一つの現実であるという実感がまったくなかった。

 

 不思議なことだけど、いまとなってはそれもしかたないかな、と思う。読むことと、実際に経験するということは、おなじく知識を得る手段ではあるけれど、実際の体験としてはぜんぜん違う。ぜんぜん違う体験から得られるものがおなじひとつのリアリティを構成しているのだ、と了解することは子供にとってはきっと簡単なことではない。

 

 読んだことと実際の体験がリンクした瞬間、……つまり、自分が読んでいるものとこの世界がおなじ世界であるということがはっきりと示された瞬間のことをいまでも鮮明に覚えている。

 

 おじいちゃんが拾ってきた本のなかに、なんらかの学研漫画「~のひみつシリーズ」があって、そこで知った知識だったと思う。電話で110を押せば警察に通報、119を押せば救急車に通報。……じつはほかにもいくつか、ひみつの3桁の番号があって、たとえば117を押すと「時報」なるものが流れて、いまの時間がわかるという。

 

 「なぜ時計を見ればわかるものを電話で聞くのだろう?」と不思議に思ったのを覚えている。そのまま本を閉じて、なにごともなく日々は流れ、僕はまたべつの本を読み、本を読んでいないときは実際に体験できる子供の範囲の世界を生きたりしていた。あるお留守番の日に、電話を見て、ふと時報のことを思い出した。3桁の数字を思い出した。117。

 

 かけてみて、ピッ、ピッ、という電子音が聞こえてくる。女のひとの声で読み上げられる時刻も聞こえてくる。本当に、書かれていたとおり、117にかけたら時報が流れるんだ。あのガムテープまみれの茶色の漫画本に描かれていたことは、そのなかだけの世界のことではなく、いま僕がいるこの世界についてのことでもあったんだ。……ということに、やっと気づいた。

 

 いまとなっては、本に書かれていることと現実の世界で起きることの関係について、ちょっとした自信のある理解があるけれど、その最初の一歩はあのときの時報だった。しばらくのあいだ、衝撃にうたれながら時報を聞いて、……で、どうやって切ればいいのかよくわからなくて、そんなことはないはずだと頭のどこかではわかっていたけれど、だれか大人の女のひとが電話口の向こうで時刻を実際に読み上げているんじゃないかという思いもぬぐえなくて、とりあえず小さな声で「ありがとうございました」と言って電話を切った。

 

 それからも、家でひとりになったときは、たまに思い出して117をダイヤルし、時報を聞いて、世界の秘密とつながったような気持ちになっていた。そのうち、すこしずつ成長していき、読む本は難しくなり、自分の身で経験できることは増えていった。いつのまにか、時報を聞く習慣はなくなった。