この本も含めてこの中によいものはひとつもないでしょ~ダリオ・マリネッティ『『チーズはどこへ消えた?』『バターはどこへ溶けた?』どちらがよい本か?』~

 

 大喜利「こんなベストセラーの軽薄後追い本はいやだ」の回答例みたいなタイトルの本を見かけて、実際ちょっと面白かったので読むことにした。現実世界で大喜利の答えみたいになっているもの*1を見かけると、やっぱり気になっちゃうんですよね。

 

 僕くらいの世代だとあるあるだと思うが、『チーズはどこへ消えた?』も『バターはどこへ溶けた?』も親が買っていて、車のシートの背もたれにある網のなかとかに適当に置かれていて、それを拾って読んだのをおぼえている。僕はまだ小学校低学年くらいで、本に対する好みは形成されていなくて、とりあえず手の届く範囲にある書物はなんでもいいから読んでいたころのことであった。なつかしいねえ。

 

『バター』を読んですぐ気が付くのは、これが巷間言われる通り『チーズ』のパロディになっていることです。一番大きな違いは『チーズ』が人生で求めるものを明確化し、それを得るのが幸せであり、そのために変わらなければいけないと教えるのに対し、『バター』はことごとくこれに反発し、逆を教えていることです。

 『チーズはどこへ消えた?』という、社会現象になった自己啓発本と、それをパロディしてかつおこぼれ売れを狙った『バターはどこへ溶けた?』の2冊を、「年上の日本人妻と結婚し、稼ぎは妻に任せてふだんは読書と昼寝、たまに翻訳をしたり雑誌に文章を書いて暮らしているイタリア人」*2が読み比べるという、とてつもない浅さ(いい意味で)を持った作品であり、さくっと楽しんで読めた。

 そもそも大昔の、浅い本について書かれたそれ自体さらに浅い本なので、読んで得るものは何もないが、まあサクッと読めるので読んで自分から減っていくものもそうないので許せる。

 

 ……というような話を友人にしたら、「昔のお前はトマス・ピンチョンウラジーミル・ナボコフの本を読んで、その素晴らしさをうれしそうに語ってくれていたけど、なぜ今のお前はこんな三流の本ばっかり読んで自慢げなんだ?」と言われ、「やっぱり、自分自身が属しているのとおなじレベルの本を読むのが、面白いしラクなんだよ……」と力なく返すしかできなかった。

 

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 とはいえ、意識高い系ベストセラーとそれを茶化して金儲けを企んだ本を二つ並べて、さらに浅い視点からふわふわ語るというアティチュードとか、面白がれる部分はけっこうあると思うので、まあ、おすすめはしないけれど、気になってどうしても読んでみたかったら読んでもいいくらいの本ではあると思います。どうぞ。

*1:ほかには、お題「ジェフ・ベックのアルバムに邦題がついた。けど、こんな邦題はいやだ。一体なに?」答え「ギター殺人者の凱旋」などがある。

*2:たぶん(『バター』と同様に)著者のこの設定は嘘でしょう。