人生の指針~ポール・オースター『最後の物たちの国で』~

 

 いろいろな意見があるとは思うけれど、個人的には、自分がこの1回しかない現実の人生では持ちえないような、他の「物事の見かた」や他の「世界のありようについての総合的な意見」を追体験できる、というのが、文学を読んで役に立つこと、だと思っている。実際に場に出すわけではないにしても、手札に配られるカードが1枚か2枚増える、というような感触があるのである。

 

 ただ、たくさんいろいろな本を読んでいると、「他の」というわけではないものの見かたや考えかたをする本に出会うことがある。作中で描かれている物事のありかたが、なんというか、僕が世界について考えていることとぴったり一致していて、そういう本を読むと、その他の「他の」な本を読んでいるときとはまた違う満足感がある。

 僕にとってそういう本を書くような作家が何名かいて、そのうちのひとりが、ポール・オースターである。

 

物がひとつ消えたら、すみやかにそれについて考えはじめなければ、あとはもうどれだけ頭をひっかきまわしても取り戻せはしないのです。

 架空の隔絶した国へ、生きているのかどうかもわからない兄を探しに行く……、というストーリーで、国の荒廃した社会経済の様子や、そこでもがきながら生きる主人公の忍耐、そしてそれぞれ運命に打ちのめされているけれどどこか「個」として魅力的な登場人物たちとの交流の様子が描かれている。

 

 「人間は自分を包み込む運命にたいして無力であり、できることはほとんど全くない。力の不平等が一見あるように見えるけれど、それもたまたまそうなっただけにすぎず、自分の立場を保証されているひとはひとりもいない。できることはほとんどなにもないのだけれど、しかし、それを自覚して、自分がたまたま手にしているものをまるでなにも持っていないかのようにして生きることができたとき、そのときに限って、わずかだけ行動の可能性が生まれる。しかし、その行動が良い運命を手繰り寄せることができるかどうかも、もちろん誰にもわからない」

 ……というのが、この作品だったり、ポール・オースターの小説に通底している人生観だと思う。こういう考えのもとに書かれている小説を読んでいると、僕は、暖かい毛布をかぶっているときのようなリラクゼーション状態になれて、うれしい。非常に即物的に役に立つ小説である。

 

我々の人生とは、要するに無数の偶発的出来事の総和にすぎません。それらの出来事が細部においてどれほど多種多様に見えようとも、全体の構成がまったき無根拠に貫かれているという点においてはみな共通しているのです。

 はじめは作品の舞台となる隔絶された国の荒廃した文化や風土が描かれていて、その想像力だけを楽しむようなタイプの小説(ミハル・アイヴァスの『黄金時代』とか)のような読み味があったので、(あと、じつは僕はそういう小説をちょっと「ダサい」と思っているところがあり)ちょっと戸惑ったのだけど、読み進めたらいつもどおりのポール・オースターだったので安心した。

 

 「年の差レズビアンカップルが男を殺して死体を処理する」という、オタク界隈では男女問わず根強いファンをもつシチュエーションも出てくるので、それを期待して読むのもいいと思います。