シチュエーションと緩急、「ななしのアステリズム」

 

 ななしのアステリズム、というマンガをご存知だろうか? 世間では商業的な百合ブームが起きているが、その陰で忘れ去られようとしているひとつの名作がある。

 

ななしのアステリズム(1) (ガンガンコミックスONLINE)
 

  白鳥司、鷲尾撫子、琴岡みかげ、――夏の大三角*1をモチーフにした三人は、始業式に向かう電車のなかのちょっとしたイベントがきっかけになっていつも一緒にいることになった仲良しグループ。だが、彼女たちには秘密があり、その電車のなかのイベントがきっかけで、白鳥は鷲尾に、鷲尾は琴岡に、琴岡は白鳥に、それぞれ恋愛感情を抱くようになってしまう。

 3人のうちだれかの恋が成就するということは、これまでのような3人組の友達ではいられなくなるということ。友達でいることと想いを打ち明けることの綱引き、秘密と策謀。それらをストーリーラインに据えた、シリアスなシチュエーションコメディのような物語である。

 

 仲良し三人組の一周する三角関係、というプロットは魅力的だが、どう考えても落としどころが非常に難しい。僕は最初期から連載を追いかけていて、毎更新ごとに楽しんでいたけれどつねに不安だった。これをどう収拾つけるつもりなの!? 話が深まり新事実が明らかになるにつれ、すべて面白かったんだけど不安は増していった。最終巻の展開は祈るように読んでいた。「ななしのアステリズム」は難しい物語上のミッションを、切り抜けた。選択肢はいくつかあったと思うが、そのなかでも、一番物語に向き合った真摯な回答を出した。正直、どこかで綱から落ちるのではないかと思っていた僕は深く反省した。もうこの作者にはなにがあってもついていくと決めた。

 

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 物語は基本的にシチュエーションコメディの要領で進行する。ストーリーテラーにもいろいろなタイプがいるが、小林キナさんはシチュエーションを作るのが抜群にうまい。物語のひとつのハイライトと言えるのが、メインキャラ5名が偶然ハンバーガーショップで居合わせる場面。それぞれのキャラクターが秘密を背負っていて、だれもこのシチュエーションの全体像を把握していない(把握しているのは読者だけであり、ハラハラする。それがシチュエーションコメディの面白さになる)。把握していないがために、もがいたり見当はずれな発言をしたりする。その多体系の力学によって、物語は緊張感を保ったまま予想外の方向へ進んでいく。

 

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 シチュエーションの造形の上手さに加えて、「ななしのアステリズム」についてはその緩急について語らなければならないだろう。

 「ななしのアステリズム」のリアリティのレベルはそこまで高くはない。主人公たちがローティーンであるということもあるが、その他の物語の小道具についても(たとえば、作中に登場する戦隊ヒーローの名前など)大人の読者が物語世界に没入できるようなリアリティで作られているわけではない。この作品は基本的にはシチュエーションコメディなので、読者を特定のキャラクターに感情移入させるのではなく、シチュエーション全体を見渡せる位置に吊っておかないといけない。ので、この点はたぶん欠点ではない。

 かわりに緩急のリズムが効果的に使われている。基本的に緩いリアリティで進む物語の要所に、場違いに思えるようなリアルな感情の描写を差しはさむ。これがとても鋭い。

 上に引用したのは、いろいろなサイトの試し読みで読める第一話だが、ここの琴岡の表情は本当にすごい。3人組の仲たがいの危機をややコメディタッチに描いていた前のページをめくったらこれ。完全にやられてしまう。

 

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 絵も上手い。シンプルな画力というよりは、小物とか構図のセンスが良くて見入ってしまう。すこしファンシーよりなので多少人を選ぶかもしれないが、個人的にはいちばん好きな絵柄である。

 

 この大傑作がその質に反してそこまで跳ねなかった理由ははっきりしていて、この作品の質が読者のキャパシティをだいぶ超えていた、ということに尽きると思われる。作中にはBLやトランスヴェタイト、アセクシュアリティにまつわる表現があり、読者全員にとってすべてが心地よい作品というわけではない。クイア批評性がある、というところまで踏み込んでいるわけではないが、それでも単に女の子同士の恋愛を楽しむために来た、というような消費者を撃退してしまうには十分挑戦的な作品だった。

 

 そういう、作品の持つ力とは関係ない部分で商業的な成功は収めなかった作品ではあるが、傑作であることに間違いはない。ひとつの時代の区切りのあと、100%間違いなく再評価されると思う。その時がくればもう祈る必要はないが、そのときまでに、この傑作がひとりでも多い読者を得られることを、切に祈っている。

*1:夏の大三角のように、星座とまでではいかないけれど、意味を持たせたいくつかの星の集まりのことをアステリズムという