手洗いの掃除は祖母が受持つと言い張ったが、どうもあまり念入りではなく、ときには、恋人ができて出歩くことが多いせいか三日も四日もほうってある。そして書斎と風呂場の掃除はぼくがすることに決められ、ぼくは毎日曜の朝、浴槽やタイルを力まかせに磨き立てながら、今まではゴルフにさっぱり関心がなかったくせに、ちょうどこの時刻ゴルフ場で遊んでいるほかの役員たちの幸福を羨むことになった。そのときぼくにとって、幸福とはすなわち有能で忠実な女中が一人いることにほかならなかったのである。
丸谷才一さんという人が書いた『たった一人の反乱』という小説を読んでいたのだけど、これがとても面白かった。
小説好きの友人も結構いるので、この本をどうにかおすすめしたいとも思うのだけど、どういうふうに言えば興味を持ってもらえるのかまったく分からない。文学作品としてこういう革新性や見どころがありますよ、というのがあまりない*1。なんというか、色気のない作品なんですよね。
「自己顕示欲でしょうかね」
と新聞記者らしい男が言った。
「そうだろ。昔は出しゃばりと言ったもんですがね。近頃は格が上ってそういうらしい」
「やはりテレビの影響……」
「もっと古いんじゃないか。ほら、戦争中、床屋のおやじや八百屋のおやじが隣組長になって、防空訓練のときに演説をした。あのへんからはじまるんじゃないかな」
ということで、内容についてはあまり言うことがないのだが、一点だけ、……この作品は1972年に発表されたものなのだけど、50年前の感覚と今の読んでいる自分とはだいぶずれがあって、それを楽しむ読み方ができた、ということのアピールはしたい。
タイトルの「たった一人の反乱」というのですら、ずれてしまっていてわからない。作中に登場する人物が、それぞれ自分の人生に降りかかってくるトラブル(ただ、読者からすると、「そんなに大事ではないだろ」というようにも見える)をなんとか乗り越えたりやり過ごしたりして、生活者として人生を生きることを「たった一人の反乱」だと位置づけているのだけど、それは若者を中心に大勢に反動の気風そして実際の行動があたりまえにあった1970年代においてこそ意味があった言い回しであって、今読んだときには、「たった」で「一人」で「反乱」だということの具体的な感慨は、まったくわからないのである。
本の中身のお話にもそういうところがたくさんあって、ちょっとした異文化として楽しむこともできます。それ以上に面白くて、いろいろなことを考えられる素敵な本ですよ。興味があったらぜひ読んでみてください。
*1:完全にないのであればその欠如が批評ポイントですよ! とか言えるのだけど、完全にないわけではないのでそれも言いにくい。