フィリップはいきなりもぐると、下からヴァンカの足をつかんで引っぱった。ふたりとも沈んで水を飲み、海面に現れるなり咳きこみ、あえぎ、それから日ごろのことも忘れて大笑いした。ひとりは幼なじみへの恋に胸をこがしている十五歳であることを、そしてもうひとりは、美男にありがちな横柄さと早熟な所有欲にかられる、なにもかも支配したい十六歳であることを、忘れていたのだ。
シドニー=ガブリエル・コレットさんの『青い麦』がとても面白かった。16歳と15歳、家族ぐるみの付き合いがある幼馴染どうしが、夏休みをいっしょに過ごしている。ただ、この夏には去年までとは違った焦燥感があって、おたがいに相手を恋の相手として意識し始める。……夏が終わって毎日顔を合わせる生活も終わってしまうのが、すごく悲しいことのように感じる。
ヴァンカの答え方が物柔らかだったので、フィリップは少し恥ずかしくなって口を閉じ、ヴァンカもそんなフィリップの包容力を意外に思って、目を上げた。もっともフィリップは、これも彼女の傷つきやすい自尊心がいっとき引きさがっただけで、すぐに非難や子どもっぽい皮肉、〈猟犬的〉と彼が呼んでいる口やかましさであれこれ言われるのだろうと、心のなかで身がまえた。だがヴァンカは、さびしそうにほほえんだだけだった。さまようようなそのほほえみは、静かな海と空に溶けていった。空には高く風が吹いて、雲がシダの形を描いている。
そんななか、16歳のフィリップはちょっとエッチなお姉さん「マダム・ダルレイ」に出会う。……一方15歳のヴァンカは、兄のようでもあるし親友のようでもあるし、手にいれたい対象のようでもあるフィリップの身に起こった変化を、なんとなく感じ取る。
といったお話である。
恋するひととの話しかたやその人のまえでの振る舞いかたをすこしずつ覚えていく思春期の感じとか、上下のある恋愛と逆に関係性がフラットすぎる恋愛との対照とか、空間的にも時間的にもとても限定された舞台のなかで、出てくるものが丁寧に正確に、綺麗に描かれていて、読んでいてとても楽しい。小説の読みかたっていろいろあると思いますが、やっぱり書いてあることを読んでいると楽しいというのが一番だ……。
こういう少年少女の話を読むと、「これをおなじくらいの年齢のときに読みたかったな~」と思うことがだいたいあるのだけど、この本にはまったくないですね。
作者のシドニー=ガブリエル・コレットさんは、本人もめちゃめちゃ恋をエンジョイしたタイプの作家だったらしく、しかもこれは50歳の時に書いている。そんな恋愛力のある作家が50になってやっとここまで書ける……、って感じのビターでスイートなテクストで、子供のころ読んでもなにもわからなかっただろうし感じなかっただろう。
言ったらいまでも半分くらいはあやしいかもしれない。この本を親しい恋愛対象ではないひとや、親しい恋愛対象なひとといっしょに読んで、あの場面やこの場面で書かれてること、意味わかった? って読書会するような、そういう原始的な楽しみ方もできる、非常に懐の深い小説だと思う。