難しい~ロバート・M・パーシグ『禅とオートバイ修理技術』~

 

三年前、半年余りシドニーに滞在する機会があり、この書のことが頭にあった私は、アパートを借りるとすぐに中古のオートバイを購入し、それを移動手段にした。当然、幾度となくツーリングに出かけたが、各地で山火事が頻発する異常気象の年、四十度を超える日が何日もあり閉口した。そんな熱波が続くある日のこと、冷房を求めて街中で見かけたバイクショップに立ち寄ったことがあった。

すると偶然にもいろんな本や雑誌(客用)に紛れてこの本があったのである。ある。十八年前の日本でもそうであったが、私はそこの店員に感想を訊いてみた。反応は昔と同じ、即、「難しい」という答えが返ってきた。

(訳者あとがき より)

 

 『禅とオートバイ修理技術』を読み終わった。読んでいる途中は、この本についてなにかを言いたい気にはならないだろうな…と思っていたのだけど、読み通してみて、でも印象的なテキストではあったなあとも思った。

 

 何かを言いたい気にはならないだろうな…と思ったのは、知的に有意義な本ではあまりない、と思ったから。ふつうに流通している考えかたに疑問を呈して、それに対して別の考えかたを提示する本なのだけど、後者に関しては議論に失敗しているように見える。

 議論のしかたも、あることについてすぐに言うのではなく、「それがなにでないのか」とか「その知識を持つとひとはどうなれるのか」とか、「その知識に到達するまでの個人的な知的遍歴」などに大きく遠回りするようなスタイル。オカルトの本とかでこういう叙述を見ると、雰囲気作りの妙を楽しめたりするんだけどそういう内容の本ではないでしょう。

 

 現時点の僕にとっては大きな衝撃のある本ではなかった*1けれど、これに薫陶を受けた人にとってはここを起点にいろいろなことについて考えたり、学んだりして、また読み返して自分なりの味付けをして納得する、……みたいな指針のような本になるのもわかる。

 そこまではまらなくても、この変なタイトルの本を手に取って、「アメリカの歴史に残る大ベストセラー本である」という宣伝文句に興味を持って、読んだあと「なんかなに言ってるかわからなかったな」というふうに思う。けど、印象には残っていて、そういう本が本棚にあったなと近い話題が出たときに思いだす。……それくらいでも使命は十分に果たしている本のように思える。

 

 で、それがこの本の中で主題となる「〈クオリティ〉がある」ということなのではないのかな~と、最後の訳者あとがきまで読んで、(個人的に味付けした読解ですが)思いました。*2

*1:18歳くらいで読んでいたらまた違っていたかもしれない。人生の1冊だった可能性まである。

*2:(本編出版より後で書かれた)前書きの部分で、『アンクル・トムの小屋』を引き合いに出して、この本は『アンクル・トムの小屋』と同様に、「傑作ではないかもしれないけれど、『文化を担う現象の結果』として成功を収めた」のではないかと語る部分があるけれど、そこも思い出しながらこう思いました。