最近読んだ本 📚

 

 『元素創造 93~118番元素をつくった科学者たち』という本を読んだ。その名前のとおり、ウランより重い(=天然にはほぼ存在せず加速器で作るしかない)元素の発見・合成の歴史をたどる内容である。

 

 科学の知識だけではなく、主要人物への取材をして編まれている化学ドキュメンタリーで、読んでいるといろいろ「ちょっといいな」となるようなエピソードも出てくる。読み物として面白くする工夫がされているのだが、まあこんなことを言ったらそもそも論なのであれなのですが、「超ウラン元素の合成」という題材がじつは見かけほどスリリングなテーマではない……、というのがあってちょっとかわいそうだった*1

 100番くらいからあとはずっと加速器原子核をぶつけっこしているだけで、そんなにドラマがない*2……。逆に、それ以前の元素周りの話、――とくに水爆実験のキノコ雲を命がけで突っ切って試料を採取してきた勇敢なパイロットの話などはアツかった。

 

 女性や人種的マイノリティなどの貢献にもページが割かれていて、ポリティカルにコレクトな作りだったのは評価されるところだと思う。マリー=アンヌ・ピエレット・ポールズ(ラヴォアジェと結婚した人)にしっかり言及するところとかは明確な気持ちを感じた。

 

 『偶発事の存在論:破壊的可塑性についての試論』という本も読んだ。「人間は人生をやっていく中で変化していく存在ではあるが……」というところからはじまり、「そういったときに前提されるような連続的な変化ではなく、それまでの自分が無になるような、『変化していく自分』という枠組み自体が壊されてしまうような出来事が、自然災害や脳外傷、精神疾患、老化、失業などの精神的ショックに際して起こり」、それは「脳や神経という器官を持って生きる人間にとっては、存在そのものに埋め込まれているある偶然性を持って、つまり『必ず起きると予期できるが、しかし、起きるときにはそれと予期していなかったかたちで起きる』というような偶然性で、起きる出来事なのである」ということを言っている本のように見えた。

 

 ただやっぱり、こういう本を文脈知らずにいきなり読んでも、なにをどういう文脈で問題にしているのかがわからないことが多いのでそんなにいいことがない。個人的にもここで主張されていることが対応しようとしている現実の問題には関心があるのだが、ここでのこのしかたでの主張が通ったとしてなにがうれしいのかよくわからなかった。

 

 ……ではなぜ読んだのかというと、*3てきとうに立ち読みしたときに、この本が出ているレーベル(叢書・ウニベルシタス)にしては珍しく活字が大きくて、しかも余白もけっこう広くて読みやすそうだったから。

 小学校の教科書でいうと小3くらいの活字の大きさでした。「叢書・ウニベルシタス」でそういうのがあるんだ。

 

 

*1:登場人物が多少かぶっている量子力学確立のストーリーとかと比べてしまうので余計に。

*2:画期的なブレイクスルーがあるわけでもなく、科学の他分野にまたがる応用や影響があるわけでもない。新しくできた元素に大した使いみちがあるわけでもない。

*3:先述したようにこの本が問題にしているような具体的な出来事には関心があるというのもあるが。