以前にもちょっとはまっていた時期 *1があったが、最近もYouTubeで将棋棋士が将棋ウォーズ*2を実況プレイしているのをよく見ている。
(最近はまっているチャンネルがこちら、「将棋放浪記」。将棋棋士の藤森哲也五段が運営しているチャンネルで、下の名前が「哲也」なのがチャンネル名の由来だと思われる)
ただ、前に見ていたときとはちょっと違うところがある。こう、一手一手の効果とか、狙いとか、つぎ打ってきそうな手とかを実況されながら見ていて、以前は「なるほど~、そういう世界もあるのか…」と感心しながら見ていただけだったのが、いまはなんかわかるのである。
「ここに角を打つのがいい手ですね」と言われたとき、実況で詳しい解説があるまえに、なんとなくどういうふうにその角が働くのかがわかる。「と金を作るまえに、まずはここで一歩突き捨てておきます」と言われたときに、ちょっと遅れてそこで一手挟んでおくのがなにをケアしたものだかがわかる。終盤でおたがいの玉が危険にさらされているとき、(時間が無くなって実況している藤森棋士もそんなに詳しくは触れない*3けれど)どっちの玉が危ないかがなんとなくわかるようになっているのだ。
勉強をしているときにけっこうこういうことがある。ある時期、とりあえず「なるほど~」と受け入れていたものが、とくにそのあいだなにもしていなくても、ある期間が過ぎた後にもう一回触れてみると、「あれ、意外と、……いや、完全にこの分野を理解しているな俺」となることが、あるのだ。
完全に、いまこの時期に来ている。
するとなんとなく将棋のゲームとしての見どころ、はらはらしどころがわかってくる。サッカーの言葉を借りていうのなら、質的・空間的・時間的優位を奪い合うゲームだ。
中盤戦は質的な優位が大事で、相手の強い駒をなるべく奪い、かつ自分の強い駒を奪われないようにし、同時に敵陣を破って駒を成ったりして駒得を作ることを各プレイヤーが目指す。終盤戦は駒の質よりも空間的な配置と、お互い自分の玉が詰まされるまでに何手自由に打てる余地が残っているかの時間の勝負になる。序盤戦はこのふたつに比べるとわかりにくいけれど、たんに設計図通りに自陣を組み立てるのではなく、相手の配置を見ながらどれだけ優位性を近い将来につなげていけるかの駆け引きが繰り広げられている。
将棋、……とても楽しいゲームっぽいです。
「いや~完全に理解した。もう俺に実況や解説が必要なフェーズは終わったな」と思い、ちょっとまえに行われたらしいトップ棋士どうしの対局を観てみたのですが、さっきまで僕が書いていたこととは重ならない現象が盤上で、激しく繰り広げられていて、意味がわかることはひとつもなかった。
解説も観てみたが、「そうか…」という感じで、それをそのまま受け入れる以上のことはできなかった。
しかし、それもまた楽しいことですね。べつに、なにごとにおいてもその道に踏み込んでみちゃったときに、「完全に理解した」とおどけたり、「チョットワカル」と防衛線を張っておびえる必要はなく*4、ただ、ひとつの山を越えた先にはまたべつのそれより高い山がある。そういう地形が人間の文化のあるところあらゆるところで広がっていて、山をひとつ登るたびに見える景色が増える、そういうふうに世界ができていることをうれしがればいいのである。
という喜びを感じつつも、今日はもう夜遅いので、最後に一杯だけハイボールを用意して、
森内俊之永世名人が普通のコンロで火をつけただけで褒められている「現在の将棋界×YouTubeでいちばん面白い動画」を見て寝ようかなって思います。