ステイ・ソバー・エントリー

 

 今日は絶対お酒を飲むまいと決め、ただ心に決めるだけではなく、禁酒に関するブログを書いておいて、達成出来たらご褒美に公開する、ということにした。その結果がいま見てのとおりである。この回が無事公開されるというのは簡単な条件を満たせばすむことのように見えるかもしれない。……でもとても珍しいことなのだ。アルコール依存症者にとっては。

 

 まずは、なぜ今日絶対お酒を飲むまいと決めたのかについて話したい。

 ここ最近、ちょっと珍しく、たまたまお酒を飲まなかった日が続いたのだけど、その日はよく眠れるし、体が軽いし、昼ごはんや夜ご飯のときに食欲があって、食べたものの味がはっきりとしていておいしかった。食事が楽しかった。空気の匂いや水分補給のお水でさえいつもと違って感じられた。

 

 「俺くらいアルコール依存症になると、逆に『酒を飲まない』ことでも、こういうふうに向精神作用*1を感じることもできるのか」と思い、「これからはたまにはお酒を抜いて、その精神状態を味わうのも悪くはないな」と思った。

 

 それで、「今日はひさびさに酒を抜いてあのときの感じを味わってみるか」と思ったのが昨日のことである。「禁酒」と表現してしまうと、なにか自由が失われているようでたいへん主観的につらいのだが、僕の自由意思によってあえてしらふでいることを楽しむ、のであればぜんぜんOK、と思ったのだ。

 

 しかしそう決めたあとに起こったことがちょっと個人的にはショックだった。心の中から、無意識から呼ぶ声がするのである。「本当に飲まなくていいのか?」と。

 

 だって、べつに飲んでもいい日なのだ。飲んではいけなくて飲めない、つらい経験をこれまでもしてきただろ? 飲んでもいい日に飲まないのはあの時我慢した自分に失礼だよ。なにも買わないで家に帰って、「飲みたい!」と思ったらどうする? 後悔するよ? そもそも、人生なんて通過するだけのものだし、飲まないのは損だよ。スコット・フィッツジェラルドウィンストン・チャーチル朝永振一郎、その他過去の偉大な人々も酒を楽しんでいた……。お前もそれに続くべきだ。なぜ賢ぶっているのか? 飲みたいなら飲んだほうがいいんだよ。むしろ飲むことでストレスが解消されて、健康にいい。

 

 といった、無限に湧いて出てくる「考え直せ」の声に、その日の僕は「いや! 今日は飲まないと決めたのが僕の自由意思なんだよ!」っていう自分の気持ちを負けさせてはいけないと、ひとつひとつ反論していくのだけど、すこしずつ疲れていく。意志の力、自由の力は有限で、体に染みついた「依存」の猛アプローチについに折れてしまう。

 

 最終的には、「ここで信号を待つより、ひとつ向こうの信号のない横断歩道を渡って、ついでにそこにあるコンビニに寄って酒買うほうが合理的じゃん!」という口実を受け入れてお酒を買ってしまった。複雑な気持ちで買った酒を飲みながら、「禁酒ができないのは知っていたけれど、しらふを楽しみたい、と自分の意志どおりに行動することでさえも俺にとってはこんなに難しいのか」と思ってちょっと泣いた。悲しみの酒だった*2

 

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 なので、今日こそはそのリベンジ、ということである。昨日のとおりいったらお蔵入りになってしまうが、僕だって愚かではなく、しらふでいることを実現させるためにちょっとした分析と対策はしてある。

 はたして、この回は公開されているのか……? 楽しみです。

*1:精神状態が薬物によって変わるのが楽しい、というのが僕が酒を飲む理由の大半である。

*2:でも、自分の無力をかみしめながら飲む悲しみ酒は正直まじでマゾうまい。