「書きたさ」の熱い波動を感じる~小塩海平『花粉症と人類』~

 

花粉症と人類 (岩波新書 新赤版 1869)

花粉症と人類 (岩波新書 新赤版 1869)

  • 作者:小塩 海平
  • 発売日: 2021/02/22
  • メディア: 新書
 

 理系の研究者である私のような者が『花粉症と人類』などという物語を書いてみようと思い立ったのは、生涯を捧げて花粉や花粉症と格闘してきた先人たちの涙ぐましい努力に敬意を表したいという願いに導かれた結果である。それはまた、かつて憎きスギ花粉を全滅させることを志し、復讐心に燃えて研究に取り組み始めた私自身が、やがて花粉の魅力にとりつかれ、花粉によって映し出される人間史・文明史を描こうと思うに至った個人的な物語とも重なっている。つまり、本書を通して、これまで不当に憎まれ、忌避されてきた花粉の弁明に努めたいというのが、私の密かな願いなのである。

 

 ある分野の研究者が、その分野の物事に対して、しかしその分野のディシプリンには縛られない形で自由に、「書きたさ」の赴くままに書いた感じのエッセイ、というジャンルの読み物がこの世にはけっこうあって、それが好きなんですよね。*1

 ……とくに、自分の仕事や社会的責務の求めるところを越えて書くことに対する興味を持っていそうな著者が書いたものであればなおさらである。

 

私としては、最初の花粉症患者としてアテネのヒッピアスの名を挙げるのは証拠不十分であり、推測の域を出ないものと考えている。逆に、こういう論文を平気で書けるマレンの大胆不敵さは、きっと花粉症に苦しむ繊細さとは無縁だったに違いないと私は勝手に思っている。

神は、私たちの目につかないからといって、花粉の創作をおざなりにはされなかったのだ。 

 人類と花粉のかかわりのさまざまな断片を紹介しつつ、花粉研究者としての知識を披露し、そのあいだにちょっとしたくすぐりを文章で入れる。傑作エッセイだ、とまではいかないのかもしれないけれど、「本当?」って思うようなことをレトリックだからって突き通して自信たっぷりに書いている楽しそうさが伝わってきて、こちらもうれしくなる。

 

 ふつうに世のなかにある本(のうちひょっとしたら、教養ある人々に取り上げられ読まれている一部分)は、書くことになにかしらの専門性を持ったひとが、ちょっとストイックになって書いているものだけど、そういう本にはない、はしゃいだり余分があることの良さ、この本以外だと先生が張り切っていた年の学級通信とかで見られるような良さ、みたいなものがやっぱり良いんですよね。

 

花粉症がひどくなったら、空を見上げ、花粉光輪をながめてほしい。太陽をやさしく包み込む虹のような七色の光が見られるはずである。花粉光輪は、自然がその構成員であるわがままな現代人に送ってくれた一つのメッセージに違いない。

 この本の最後の章は「花粉 光輪 コロナ の先の世界」というタイトルになっていて、……文中では一切、このタイトルを見て思いつくようなことには触れられていない。このへんはみょうにストイックでかっこよかった。

*1:ちょっと手触りは違うかもしれないけれど、『物理学者たちの20世紀』とか『虚数の情緒』とかが例か。