「もしきみが幸運にも2020年に東京に住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうとも東京はきみについてまわる」っていう書き出しで、いま修業時代を過ごしている未来の文豪の皆さん、オリンピックに沸く東京での暮らしや友人との交流の日々をノスタルジックに描いたエッセイブログを書いて…!
— soudai (@kageboushi99m2) 2018年4月6日
昔ふざけてこんなことを考えていたが、いざ2020年になってみると、オリンピックなんかよりももっと興味深くてずっと長い出来事が東京を覆っていて、友人との交流はひとまず二の次だね、というような状況が2021年のいまになるまで続いている。
僕は未来の文豪ではないだろうが、(2018年当時はそうすることになるとは予想していなかったが)そういえばエッセイブログ*1を書いている。なので、2018年の自分が他人事のように期待していたことに応えられる立場にいるのだけど……。しかしいまのこれは、はたして、あとから振り返ってノスタルジックになれるような風景なのだろうか。一生、ある人物やある世代の文化についてまわるタトゥーのようなものになるのだろうか。
ただまあ~……、個人的に言うと、新型コロナウイルス感染症の蔓延がどうこう、というのはあまり重要じゃなくて*2、本当に正社員として働いているということだけがただただメインな期間だった。
コロナウイルス、本当にどうでもよくて、ただ、おかげで出社しなくてよくなる時期があるのはうれしくて、子供のころ平日に来てくれると嬉しかった強い暴風域持ちの台風、くらいの重要性しか僕の人生のダイレクト圏では持たずにいる。もちろん、ダイレクトじゃない場所で、世のなかの動きや政府の対応についていろいろ思ったり、世界情勢を危惧したり、自分の好きな業界や人々に降りかかる影響を憂慮したりはするけれど、それはやっぱり向こう岸の出来事以上ではないのだ。
もし未来の文豪だったら、ノスタルジックポイントを稼ぐここしかない機会を、けっこうふいにしてしまっているのかもしれない。いまリアルに肌で感じることがなにかしらあれば、この題材について傑作を書く下地になりうるのに。
ただまあ、ふいにしてしまっているなりに、この出来事を未来から振り返って書くとすれば、これくらいの温度感で取り扱う素材になるのかな、と思って、それでいくつかショートストーリーを作ってみたこともある。
ひとつは、感染症の蔓延とそれへの対策を、思春期の恋の蔓延とそれに対する恐れと重ね合わせたもので、もうひとつはなんでもない関係ない話のなかでみんなでマスクをしていた時期についてちょっと触れるものだった。
いまはまだ現在進行形で対応しなければいけない脅威のため、すぐに、というわけにはいかないと思うけど、そのうち適正な距離を取った、2020年以降の世界を潜り抜けたあとのお話が世界各地で書かれるのではないかと思う。
それを読むのを、かなり楽しみにしている。